2010年11月18日木曜日

子供の頃の思い出

中原先生のブログに、子供の頃の心象風景ありますか?という問いがあったので、少し考えてみました。


心象風景というのは、あまり思い当たらなかったのですが、なぜか覚えている事があります。それは小学1年生の頃の事。

幼稚園まで名古屋にすんでいたのですが、小学一年生から1年間ちょっと親の仕事の関係で福岡にすんでいました。そこで初めて友達になった近所のくすのき君のことです。


自分の家は坂道の途中に建っていて、坂道を下ったところにくすのき君の家がありました。坂道を上りきったところに公園があって、よく二人で遊んでいました。

なぜそのようになったのか覚えていないのですが、自分がくすのき君に対して傷つくことを言っています。


言っていた言葉は、「くすの木が歩いているー、くすの木が歩いているー」
子供のころの自分は悪い事の限度がわからなかったのでしょうね。くすのき君はいやがっていたのに冗談のつもりで、何度も何度も言っていました。
とうとう耐えられなくなったくすのき君は怒って一人で家に帰ってしまいました。



公園に一人残された自分。夕日で公園は赤く染まっていました。
追いかける事もできず、ただぼーっと突っ立っていました。
世界で自分一人そこに取り残されたかのようにずっと公園の真ん中で立っている。
記憶の中では子供の自分が永遠に立っています。どれくらいの時間立っていたのか、いつ家に帰ったのか覚えていません。
そのとき、何を考えていたのかも覚えていません。なにも考えられなかったのかもしれません。


次の日、くすのき君は前日のことがなかったかのように、自分と遊んでくれました。くすのきたかし君は自分にとって、とてもすばらしい友達でした。



もう、どこまでが事実で、どこまでが心象なのかもわかりませんが、これだけはいくつになっても覚えていることです。



いまの自分にどう影響しているのかはわかりません。
が、いまは社内も社外もいっしょに学べる仲間に囲まれています。



その後、2年生の夏休みに親の仕事の関係で姫路に引っ越してから、福岡には行っていなかったのですが、社会人になってから一度だけかつて住んでいたところをバイクで訪ねました。

昔はとても急な坂だと思っていたところは、本当はとてもなだらかな坂で、公園は記憶の中の広さとは全く違っていてとても小さな公園でした。昔住んでいた家とくすのき君の家は、記憶があいまいで結局見つけることができませんでした。



それでも、この記憶は今の自分に大きな影響を与えているものだと思います。

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