2010年12月25日土曜日

買い物と対話のプロセス



これを買おうと決めてから、お店に行く場合は違うのですが、なんとなく欲しいと思っていたものをどれにするか決めるプロセスが面白かったので、記録しておきます。


テレビボードが欲しくて、大塚家具に出かけました。条件は、幅の長さが145cm以下というただそれだけ。リビングのコーナーに置くには、それ以上だと窓側にはみだしてしまうことで、この条件だけ頭に入れてお店に行きました。


大塚家具は案内の人が付いてくれるので、案内人に連れられて店内を回っていると、条件が少ないはずだったのに、これがなかなか決められません。


テレビボードの幅の長さは、150cmというのがあるのですが、それ以下だと、一気に120cmになってしまいます。そうすると、150cmのときにはいい感じであった収納スペースが極端に小さくなります。


買いにいくときには、収納スペースのことなど、まったく条件の中にはいっていなかったはずなのですが、現物を見てみると、どうもいろいろな条件が出てきます。


収納スペースの他には、色はダークブラウンがいいとか、取手は出っ張っていないほうがいいとか、ビデオデッキ収納のガラス部分はそんなにいらないとか・・・。


結局、数々の出てきた条件にあうものは、幅が100cmのものだったので、それを注文して帰ってきました。



ふとこれって、対話の外化のプロセスに非常に似ているかもしれないなと思います。


買い物の場合は、対話の相手が物になるわけですが、暗黙知としての要望があったのが、いろいろな物をみる事を通して、条件という言葉になっていく。対話は、他者との言葉のやりとりを通して、即興的に暗黙知が形式知化していく。



一人で考えていると、このような結論にならなかったなと思う対話はたくさんあります。自分では気づかなかった社会的な条件や制約などは、家具の規格に似ています。対話はときには得られる物が少ないと感じるときもありますが、それは自分の中の暗黙知の量がへってきているのかもしれないなと思ったりしています。


単なる買い物だったのですが、なかなか面白い体験でした。

2010年12月24日金曜日

リーダーを生み出す場のデザイン



リーダーシップの研究は、世の中に本当に沢山あって、そういう人たちからすると、何にも知らないくせにわかった風な事を言うんじゃねぇと言われそうですが、そういう意見は甘んじて受ける・・ではなく受け流すとして(笑)、個人的に勝手に今の時点で思っている事を書きます。おそらく未来の自分からも厳しいつっこみがきそうですが・・・。


最近言われているようなサーバントリーダーシップも含まれると思いますが、リーダーに共通する点というのは、自らの描く未来を信じて一歩を踏み出す事。また、それを支援してくれる人たちがいることなのかなと思います。


では、世の中のそういったリーダー達は、初めからリーダーだったのでしょうか?そんなことないですよね。


初めは小さな一歩だったかもしれませんが、そういった経験をすこしづつ積み重ねていく事、その経験の中で、成功や失敗を繰り返し、だんだんと誰もが認めるリーダーに成長していくのだと思います。



そういったプロセスを生み出すものが世の中にあります。


オープンスペーステクノロジー、OSTと呼ばれているものです。



ワールドカフェなどと同じポジティブアプローチの一つに分類されるものですが、私はこのOSTと出会ってから、かれこれ4年になります。


OSTの詳しい解説は、本になっているので
ここでは省きますが、なによりもすごいのが、リーダーとして踏み出す小さな一歩をリアルに体験できるところだと思います。



今年6月に、人事部門の組織活性化でこのOSTを使ったときも、集まった50名が輪になって座り、自分がどうしてもみんなと話したい事、検討したい事を輪の中央まで歩いていって宣言をします。テーマが出尽くすまで待つのですが、初めはかなりの沈黙と緊張感があります。


その沈黙を打ち破るかのように、えいっとばかりに勢いをつけて立ち上がり、宣言をしにいく人もいます。この葛藤と、それでも自分が率先して一歩出るというのがリーダーとして育つ経験には必要なことなのだと思います。


結局、そのときは合計で6つのテーマが出て、それぞれの興味のあるテーマのところで話し合い、なにをするかを決めます。その後、テーマを出した人がリーダーとなり、話し合いに参加した人たちと共に活動をしています。


最近、いろいろなところでワールドカフェはやられていますが、OSTはもっとパワフルな構造をしているなと改めて考え直しています。これまでOSTとは、ありたい姿に向かってロードマップを作るためのプロセスとしか認識していませんでしたが、実際にリーダーが育ってきている現状を見て、考えが浅かったなと思っています。



一歩を踏み出すという事は、誰にでも出来る事ではないかもしれませんが、だんだん一歩を踏み出す事ができるようになるOSTには、これからの未来が隠されているのかもしれません。

2010年12月23日木曜日

インプロ定期公演報告 2010年12月

どみんごこと高尾先生が率いる演劇学校の阿佐ヶ谷定期公演会に、今月もラーニングイノベーションの学友達と行ってきました。今回で3回目になります。


前回遅刻したので、今回は、開演に間に合うように行く予定だったのですが、結局15分遅れでした。
阿佐ヶ谷に行く前に、ラーニングイノベーション論で一緒だった学友の会社へ情報交換ということでお邪魔していたのですが、ついつい時間も忘れ、話に夢中になってしまったのでした。


急いで我無双の階段を登るとすでに会場はいっぱいで、なぜか後ろのほうに出演メンバーが何人かいました。あれっと思いつつ、一番前の席が空いていたのでそこに座ると、なんだかいつもと感じが少し違います。


まずは、出演メンバーがいつもより沢山いました。しかも、それぞれのメンバーが固定の4グループになっていて、2グループづつで予選会なるものをやっていました。即興で演じたものを観客が1~5点をつけます。せーので点数を言って、多かった点数がそのメンバーの点数になります。何回か即興で演じて、合計点数の高いほうが予選通過です。


前回からの私のお気に入りの人は、予選で敗退してしまいました。今日は実力発揮できず?なのかもしれません。うーん残念!


あと前回との違いは、前回は大阪で予定があって出られなかった即興の音楽奏者が復活していたことです。やっぱり、即興音楽の力はすごいなと感服です。

予選を勝ち抜いたグループが、後半でがちんこ即興対決をします。途中でシリアスという難しいテーマも含みつつ、最後はロックの格好をしたグループが優勝で終わりました。


今回は、初めての取り組みということで、勝ち抜き戦方式になっていましたが、いろいろ変えていく、自ら変化していくというのはすごいなと思います。定番のよさというのもありますが、いろいろ新しいことを試してみるということ、実践していくというのは、成功と失敗のぎりぎりのところを歩いているようなものなので、舞台と通じるところがあるなと思います。


舞台が終了したあと、お気に入りの人との写真を撮ってもらいました。ブログには掲載しませんが宝物です。これだけで、今日来た甲斐があったなと。


終了後は、学友といつもの黒おでんリフレクションです。飲んでいる途中で、出演メンバーの皆さんの何人かが合流して下さいました。舞台に立っていなければわからないような、頼る頼られる関係とか、競争と言うメタファーで、面白いことをしなきゃいけないという気負いが出るとか、シリアスのテーマを入れたのは、甘いケーキの中のポテトチップスのようなものだったとかいろいろ話を聞きました。


特に印象に残ったのは、一つ一つの演技とか競争に集中しすぎると、公演会全体としてのメタ視点を忘れがちになるというところです。学習も、失敗から学ぶということは経験上大きいし、そういうことは分かっているのだけれども、普段は失敗しないように慎重すぎるくらい石橋をたたいている人がいます。もちろん、成功も何故成功したかをリフレクションすることで学びになるのですが、いつでもメタ視点は忘れてはいけないと改めてそう思いました。

2010年12月20日月曜日

原理主義

何かを信じるということはすばらしいことだとおもいますが、それが行き過ぎると原理主義者を作ってしまいます。


私の好きなエリヤフ・ゴールドラット博士のTOC制約条件の理論にも、こういった原理主義者がいます。


昨年、TOCカンファレンスが日本で開かれたので参加した時に、TOCの普及に尽力している中心人物で、TOCカンファレンスの主催者の人が、TOCの普及の初期にこういった原理主義者をたくさん生み出してしまったという反省の弁を述べていました。


最近、U理論の本が出て、色々なところで話題になっているのを目にします。理論の内容が魅力的であるが故に、U理論の原理主義者が多数生まれてしまうのではないかと心配しています。


私が心配したところでどうしようも無いのですが、思いが強いとどうしても視野狭窄になってしまいます。



ラーニングイノベーション論の中で、長岡先生が、「対話がいいものだと考えるのはやめよう」という投げかけは、まさにそう言ったことに対する注意喚起だったように思えます。



対話の多面性をしっかりと理解することと、現実の経験を見ること。フォーマルセオリーとフォークセオリーを併せ持つこと。


こうやって考えてみると、本当にラーニングイノベーション論では、いろんなことを学んだなと思います。今年中に、しっかり振り返りをして、1冊のノートにまとめたいと思います。


自分にとっての今年最後の仕事になりそうですね。

2010年12月19日日曜日

内発的動機と外発的動機のバランス




子供が通信教育でとっている赤ペン先生、ベ◯ッセの付録に、3年生準備DVDというのが付いてきました。子供と一緒にみていると、結構いろいろ考えさせられる内容で、面白かったです。


基本的には、3年生コースの売り込みのDVDに見えるのですが、中でも着目したのは、外発的動機と内発的動機のバランスについてです。


あまりよく覚えていないのですが、昔のこういった通信教育でよくありがちなのが、外発的動機から勉強という行動をおこさせるものです。例えば、1ページでき上がったら、シールを貼ってもらうとか、1ヶ月のテストを送ると、テストの結果といっしょに、景品がついてくるとか。そういったことは昔からやられていたと思います。


その欠点は、外発的動機を起こさせようとしているものにたいして、子供が興味を持たなければ勉強をするという行動の変容に結びつかないことと、そういったものがなければ、勉強する気にならなくなってしまうということでしょう。


準備DVDで面白かったのは、ストーリーを使って、内発的動機づけをしようとしているところです。


DVDの内容は、今後、3年生のときに付いてくる付録を使って、勉強する事で、学校生活が楽しくなるというリアルなものと、付録の機械の中という想定で、ロールプレイングゲームの主人公になって、計算が少しずつできるようになることで、悪者を退治していくというものです。このゲームは3年生を通してだんだん話が進んでいって、3年生の最後にはボスキャラを倒しにいくことになるのでしょう。


単なる成功体験を聞くというより、これから成功していくであろう体験を自分の成長との同時進行のタイミングで話を進めていく事で、勉強の継続を狙っている感じです。


子供にDVDをみた後の感想を聞くと、「ふつうー」と言っていましたが、このストーリーによる内発的動機付け戦略がどれくらい有効なのか、しばらく観察してみようと思います。

2010年12月18日土曜日

「学び」カフェ

社内で、ラーニングカフェという対話の場、サードプレイスを作っています。作り始めたのは1年ちょっと前。今まで5回開いてきましたが、今回は番外編ということで、他の会社でワールドカフェを使った対話の場を開いている人たちとの共同企画です。


なんで共同開催になったのかはよくわかっていません。いつもラーニングカフェをいっしょにやっているメンバーの一人が、話をもってきました。実行のコアメンバーは、アンダーグラウンドのネットワーク組織のようになっているので、どこでなにが行われているか、正確には把握できない状態になっています。


場所は東大農学部の弥生キャンパスにある、弥生講堂というところです。福武ホールもそうですが、東大の施設はとってもすてきな場所が多いですね。
こんな感じです。



会社の立場でやっているのではないので、それぞれの会社名は出さない方がいいでしょうということで、WCJ(ワールドカフェ・コミュニティー・ジャパン)のワールドカフェということにしました。


募集は定員60名のところ、あっという間に70名を超えて、急遽募集を打ち切ることになりました。学びというテーマと東大という場所が良かったのかもしれません。


いつも、社内でラーニングカフェをやるときは、ストーリーテラーにテーマについてのストーリーを語ってもらい、その後にワールドカフェで対話を行うというやりかたをとっていました。今回は、他社でやっているやり方に従って、ワールドカフェのみ、一回ごとにテーマを変えての4セッションでした。

それぞれの話し合いのテーマは、
  子供の頃の学びは?
  大人になってからの学びは?
  なぜ私たちは学ぶのか?学ぶ必要があるのか?
  未来の学びの場を創造してみてください


最後の共有では、非日常とか、リアルな他者との関わり、楽しいというようないろいろなキーワードが出てきました。ツイッターでも多くの人たちがつぶやいていました。ちなみにハッシュタグは#wcj_xmasです。


終わってから、20名以上の人たちが、打ち上げにも参加して、初対面の人もいると思うのですが、とっても盛り上がっていました。こういう場もいいものですね。


さて、終わってからいつもは反省会をやるのですが、今回はそんな感じではなかったので、一人反省会というか、いくつか残った未来に向けての疑問、違和感を残しておきます。


ワールドカフェというのは、そもそも何なのか?またわからなくなりました。これまでの理解は、「短時間で多数の人と全体観を見いだして共有する手法」でした。U理論で言えば、seeing。でも、今回はあきらかに違っていました。違う使い方をしているのかもしれませんし、日本人独特の進化した使い方なのかもしれません。


学びというのが、行動の変化ということなのだとすると、ワールドカフェはやっぱり物足りなさを感じてしまいます。各個人やグループのコミットメントを引き出すところまではなかなかいかないという構造をしています。行動が代わるかはその場にいた人次第なので、何とも言えませんし、答えもないと思いますが、他の手法と組み合わせて使うのかなとも思います。



今回は、完全裏方だったので、次回は一参加者として中に入ろうと思います。



学びの意図を隠すとき




中原先生の「リーダーシップ発達の2つの考え方」というブログ
を読んでいて、ふと、自分はどうだったかと考えるところがありました。



引用すると、『参加するリーダーの側からみれば、それは気の利いた「戦略の会議」「ビジネスの会議」にしか見えないかもしれません。しかし、それでいいのです。彼らは「学びの言語や意図」「HRの言語や意図」について知っている必要はありません。』
というところです。



自分の場合はどうだっただろうかと考えてみると、特に学びの言語や意図について積極的に知らせない場合と知らせる場合の2つがあることがわかりました。


知らせる場合というのは、あえてそれを言う事で、注意力を広げてもらいたい時です。

例でいうと、ラーニングイノベーション論のインプロのセッションで、インプロの体験をした後に、高尾先生が解説をしてくれていたことです。インプロの意図というのは、なかなかわかりにくいものではあるのですが、経験をした後に意図を開示することで、注意力の幅が広がります、学びというのは、注意力が向いているところで始まると思っているので、いろいろなところに注意力を向けられる意図の開示は必要かなと思います。


知らせない場合もあります。

知らせない場合は、意図について考えてほしいとき、自分で気づく必要があると思ったとき、開示しても押しつけにしかならないとき、です。


意図を気づいてほしいときは、参加者全体で気づくように場だけセットします。場への参加者の多様性が大事になりますが、誰かが気づけば、主催者側からの押しつけではなく、意図を気づいてもらう、注意力を向けるという目的が達成されます。



個人的には、知らせることに対するリスクがある場合を除いては、可能な限り学びの言語や意図というものは知っておいた方が良いと言うのが私の持論のようです。

この持論は、私の経験からきているものであるのは明白なのですが、経験について書き出すと長くなってしまうので、それはまたの機会に。



こうやって考えてみると、意図を知らせる、知らせないというのは学びの効率ということに重点を置いているように思います。我ながら、かなり合目的的ですねぇ。

2010年12月15日水曜日

動きは支配されている

あなたの動きも私の動きも何者かに支配されています。


そんなことを言われて、あまり信じる人はいないと思いますが、慶応MCCで近藤さんのワークショップにでていた時に言われました。


動きは目的に支配されている。


なるほど!


人の動きというのは、何かの目的があって動いています。目的なしに動くことはほとんどありません。


それは、例えば、体操とダンスの違いです。


私の会社でも、始業時にラジオ体操が流れます。体操というのは、カラダにいい動きという認知をされていて、一日のカラダの調子を整えるという目的でみんなラジオ体操をやっています。


でも、朝からダンスをする人はいますか?


いないですよね。


ダンスには目的を見いだしていないので、朝からダンスをする人はいないんです。



それ以外にも移動するために歩く、寒いから服を着る、みんな目的があります。



それって、大人の学びは合目的的であるということと同じかも。


大人は学ぶのに目的が必要。子供は学ぶのに目的は不要。


では、動きについても、子供は目的は必要ではないのかなと。


子供の頃にスキップという動きをしていたと思いますが、あれって目的はないよなぁ。
大人になるとやらなくなります。


やっぱり、学びと動きは同じなのかもしれません。


大人の行動は社会的な認知のされ方による影響を強く受けます。もし、ダンスが社会的に当たり前の世界だったら、みんな朝からダンスしているんだろうな~。


それも動きは支配されていることに変わりがないのですが、そんな世界も面白いかもしれません。



一体、いつごろから動きも学びも目的に支配されるようになるんだろう。

2010年12月13日月曜日

研修会場




今日は一日中、会社の研修施設にいました。選抜教育のアクションラーニングの計画発表の日だからです。


その教育以外にもいくつかの研修が予定されていて、別の部屋で行われていました。


昼休みまでは部屋の中にいたので気づかなかったのですが、昼食を食べ終わって帰ってくると、面白い?ものをみる事が出来ました。


研修施設のちょうど真ん中あたりに長ソファーが置いてあるのですが、そこに等間隔に人が座っていました。ちょうど、隣の人と微妙な距離を置いてです。


他の教室を覗いてみると、机がグループ分けされていたのですが、そのグループ机に一人づつぽつんぽつんと人が座っていました。


みんな、同じ研修を受けているのにも関わらず、隣の人が何を考えているか、そもそも誰なのかに関心がない状態なんです。



その後、選抜教育の教室に戻ると、まだ昼休みの時間がかなり余っているのに、外で休むでもなく、何人か単位で集まって、くっちゃべっていました。半年もいっしょに苦労してくれば当たり前なのですが、関係を高める工夫をしてきた結果でもあります。



どちらが学び合えているかは言うまでもありませんが、同じ会社の研修施設の中で、こうまで差が出来てしまっているというのは、やっぱり問題だよなーと。



研修の数が多く、ほとんどを社内講師に頼っている現状では、こうなってしまうのは当たり前なのですが、やっぱりこのままではいけないよなぁ。


研修屋ではないのだから。

2010年12月12日日曜日

人材育成と個人の学び




このテーマについては、これからしばらくの間、考え続ける事になると思うので、現時点での考えをまとめておこうと思います。


ちなみに、私がブログを書こうと思ったのは、後から自分で読み返してみて、今の考え方との違いを知るため。なので、過去に書いた事についてすでに自分の意見は2転3転しています。コメントにそのことも残していこうと思います。(一人ボケ突っ込みみたいですが・・・)


本題に戻って、企業と個人と政府の3つの視点があったときに、最近の政府の視点というのは弱体化しつつあるように思えます。日本では、総理大臣がコロコロ変わりますし、アメリカでは最近の話題はウィキリークスでしょう。それ以前も、リーマンショックを止められなかったことからも弱体化は明らかだと思います。


それに代わって政治に手を出し始めたのが、企業です。本当はやりたくなかったのかもしれませんが、政府が弱くなった分、社会的責任を企業自身でみる必要性が出てきました。


一方、個人においても、政治家ではないけれども、政治活動を行う個人がでてきました。NGO, NPOにみられるような団体に所属し、活動する人や、ゆるいところ(ゆるいという表現は適切ではないかもしれませんが)では、ワールドカフェにみられる対話の場などのSocial Communityを自ら企画、または参加する人が増えてきています。そういう私も企画している一人ではあるのですが。



企業内における人材育成というのは、もちろん企業戦略を達成するために従業員に特定の能力を付与するための活動と言えると思いますが、これまでは、企業と政治がある程度距離をおいていたので、企業内での学びというのは分野を特定しやすかったと思います。


ところが、企業が政治をやり始める必要が出てきたときに、従来の人材育成の枠は変容しなければならない。一見、無駄だと思える事を教える必要がでてきたということです。では、一見無駄なことを教えられるのでしょうか?



しばらくは、個人に頼るしかないのか、または他に良い方法があるのか、両者が交わるところに解がありそうな気がしますが、まだまだ答えにたどり着くには先が長そうです。

2010年12月11日土曜日

しまった、先に言われた

考えていることを結構先に言われてしまうことが多いですが、今回もまたやられました。


6月から半年間選抜教育の事務局をやってきましたが、講義パートの最終回で、副社長との対話のセッションがありました。そこで、受講生が副社長に質問をぶつけるというよくあることをやっているのですが、その質問の中で、2030年のビジョンは何か考えていますか?ということを質問したチームがありました。


そこでの副社長の回答が、そんな先のことまで考えていない、というもの。


そこまで自分が副社長の座でマネジメントをとっていることはないので、そこまでの責任はとれないし、マネジメントというものは、人によって変わるということです。


マネジメントをする人が変わっても、変わらないと思われるのは、人の力、人材育成の必要性ということでした。組織の力は人の力が集まったものだから、人材育成というのは、いつの時代でもやり続けることになるだろうと言ってました。


そこまではよかったんですが、『もし、社員が会社を離れても、この会社で育った人はすごいと周りの人に言われるようでありたい』と言われた時に、やられたと思いました。



それは、自分が今の組織、会社にいてやろうと思っていたことで、いつかは受講生にも言ってやろうと思っていたことでした。



今から同じことを言っても、副社長の受け売りのように聞こえてしまうので、もう受講生には言いませんが。



企業内における人材育成とは、企業の戦略目的を達成する為に、組織内の人材の能力を伸ばすことが人材育成部門の役割と一般的に言われていますが、では、企業の戦略目的を達成するために必要なことってなんでしょうか?そんなことがわかっていれば、苦労はしません。



というか、そんなことわかりっこない。だったら、いろんな興味のあることを幅広く学んで、自分のことをより深く知って、それでいいじゃない。



何が将来役に立つかなんて、誰にも分からないのだから。

2010年12月10日金曜日

フィールドワーク

流しの先生の授業の影響を目一杯受けて、フィールドワークに興味がでてきました。というか、フィールドワークの観る力を鍛えたいと考えるようになりました。


そう思っていろいろ考えていると、昔、商品企画をやっている人から聞いたある話を思い出しました。


その人は、元々は違う部署で働いていたのですが、入社前からずっとやりたかった商品企画をやるために、異動をしました。オープンエントリー制度というものがあって、希望を出して、受け入れ部署がOKを出せば、元部署のマネージャーの人事権限に関係なく、異動できるというものです。


異動した彼が最初に自分に課したのは、なんでも良く観察することでした。休日には、観察するために必ず外に出かけたそうです。


話の中で、コンビニの事例がありました。コンビニというところは、工夫がいっぱいあります。例えば、一面ガラス張りで、ガラスの面には必ず雑誌コーナーがあります。


何故でしょうか?


どのコンビニも同じ配置をしているということは、そこには必ず理由があります。


コンビニにくるお客様は、お弁当を買いにくるお客様が大半です。目的のものを買って帰るだけであれば、1分もあれば十分です。でも、それではお店の中にお客様が誰もいない時間が増えてしまいます。



誰もいないお店に入りたいと思いますか?



入り口の窓際にある雑誌コーナーは、そこで立ち読みをしてもらうためのものなのです。そうやって、お店の中に人がいることをアピールして、通りかがったお客様がお店の中に入りやすくする客寄せの役目をしています。



たまに、立ち読み禁止という札が貼ってあるコンビニを見かけますが、そういう狙いをよく知らないフランチャイズオーナーなのだなと思ってしまいます。



入り口付近にレジがあり、お弁当コーナーがその奥にあるのも理由があります。



大半の日本人は、買うものが決まるまでは、お店の人から話しかけられることを避けるように行動することが多いです。レジの前を通ることを避けるようにすると、自然とお店の中を一周することになります。動線を長くとることで、お弁当以外のものを買ってもらえる確率が高まります。




こうやって、なぜそうなっているのかを観察のしながら原則を探しているという話を聞いたことを思い出しました。



まさに、フィールドワークの観察の仕方だと。



聞いた話は、商品についてでしたが、人についての観察はもっと面白いと思います。



観察眼を鍛える為に、まずは、明日、来年の手帳を買いに行くついでに、フィールドワークノートを買いに行きます。

2010年12月9日木曜日

昭和の忘年会

高度成長期時代、会社の忘年会は、泊まり込みでそれぞれの小組織単位で出し物を出し合うというのが当たり前でした。本番に向けて、他のグループにネタがばれないようにこっそりと練習するなんてこともありました。


ところが、そんな忘年会の風景もめっきり見られなくなり、ただいつもの呑み屋で飲んで、一本締めして終わりというように変わって行きました。


宿泊を嫌がる若者が増え、出し物で場を盛り上げることができる若手リーダーが減ってしまった、というより、そういうやりかたに興味がなくなった人が増えたといえるかもしれません。


でも、そういった古式懐しい昭和の忘年会のDNAが色濃く残っている組織があります。


その組織は、、、人事。


私が育って来た現場は、もう10年以上前から、そういった全員参加で出し物をやるような忘年会はなくなっていました。


かろうじて、昔の写真が先輩の机の中に残っていて、誰が受け継いでいくか悩むような感じでした。


1年半前に人事に異動してきて驚いたのが、この忘年会スタイルです。


いつもはクールに仕事をしている人達が一変します。そして、その恥ずかしい写真を残しつつ、次の日から普段の仕事にもどっていきます。


よくわからないですが、なんとなくその表裏の両方を知っているということが大事なのかもしれません。いつもとは違う一面を知っていることで、親近感が沸くのかもしれません。秘密を共有するといった一種独特の感覚です。



いろいろ難しいことも考えるのですが、人はそれでいいのかもしれませんね。

2010年12月8日水曜日

流しの先生

流しの演歌歌手という人達がいます。場所は不定、宿場町の呑み屋を転々として、その場のお客様のリクエストに答えて、演歌を歌います。あゆとおとうさんのCMのアレです。


それから発想して、長岡先生が流しの先生をやってます。


流しの先生とは、場所も毎回違っていて講義の内容もその場で生徒からもらいます。生徒も毎回変わります。


テーマは大人の学び論。今回が二回目です。墨東大学という墨東エリア全体をキャンパスに見たてたところあたりで講義が行われます。


前回は喫茶店だったようですが、今回はキラキラ橘商店街の一画でした。


街ゆく人達から見られて微妙な感じがなんとも怪しくて良かったです。


講義の内容はフィールドワークについて。受講生7人のうち、4人がフィールドワークをしている大学生だったので。



初めは概念と事象について。発見とは、概念に基づいて事象を見つける事ではない。それは単なる検証。発見とは、事象から概念を見つけること。


科学者のアプローチと同じだと感じました。帰納法の考え方ですね。だからこそ、真実は現場で見つかるのではなく、机の前で見つかるということです。


普通上のフィールドワークでは、事実という過去から現在の事象を扱いますが、未来の事象から概念を見いだすことも行われているようです。



もう一つは、フィールドワーカーの学びについてでした。観察の対象者、フィールドワーカー、読者の3者の関係において、フィールドワーカーやエスノグラファーは対象者を観察することで、学習して行くということです。対象者の中に入り込んで、自らを変容させることにより、観察が行われます。


自らが変容するのでそこには学びがあります。自らが変容しないと、対象者からいろいろなことを観察できないのです。



また、そこで観察されたことを読者に翻訳します。


読者に翻訳する過程でも、自らを変容させることの必要があるので、フィールドワーカーには学びがおこります。



ここでふとある疑問が頭の中におこりました。元々、対象者を読者が知るということを目的にしていたと思うのですが、翻訳した瞬間に、それは本当に知ったことになるのでしょうか?読者が変容することが真実を知るということには必要な気がします。



でも、フィールドワーカーが学習したという事実でいいじゃないかという考え方もあるというのを聞きました。
う〜ん、そう来たかという感じです。それをフィールドワークと位置付けるというのはとてもアリだと思いました。



8時には商店街のお店が閉まってきて、暗くなってきたので授業はおしまい。



帰りに商店街の入り口近くにある雰囲気のある居酒屋で先生と姫と3人で軽く飲んで帰りました。


芋焼酎お湯割おいしかった。しかも2千円弱。安い!

2010年12月7日火曜日

組織科学とHRM報告

組織学会のシンポジウムにいってきました。理由は、そこでのパネリストに神戸大学の金井先生と一橋大学の守島先生がいたから。


さらに、京都大学の若林先生、青学の竹内先生と豪華メンバーが揃って、2時間で参加費2千円というあり得ないような贅沢な会でした。


この会の目的は、組織科学とHRMの研究者は、これまでほとんど対話というか、共同研究というものをしてこなかったのですが、どちらも組織と人を扱っていてとても近い分野でもあります。それらの分野が会う所に宝がねむっているのではないかということで、宝探しが目的です。


守島先生の進行で、それぞれの先生のお話がありました。


守島先生からは、HRMという分野は極めて実務的で、データや事実の分析は多くあるが、なぜそうなのかというところの関心が薄かったということで、組織科学との接点としての会の趣旨が話されました。
この会で考える接点は3つ。


①組織行動論との接点
②マクロ組織論との接点
③クロスレベルとの接点


金井先生からの組織行動論からの視点は、一番HRMに近く、これまでもコラボ研究がされてきたようです。


若林先生からのマクロ組織論は、HRMからは少し離れるものの、優秀な人が集まった集団は必ずしも優秀な組織ではないという重要な示唆がありました。


竹内先生のクロスレベルという視点は、マクロもミクロもそれだけでは足りず、システムで捉える必要があるという事だったかと思います。


まだスタートしたばかりの取り組みですが、大きな宝が埋まっているような気がします。

2010年12月5日日曜日

0.5%




昨日、社内の若手選抜教育の講義パートが終了しました。

毎年、受講できる人数は、若手の中のわずかに0.5%です。優秀であるとか、優秀でないとかそういうレベルの数字ではないですね。本当に運がいいかだけだと思います。


この選抜教育が始まってから、今年で確か25年目だったと思います。今では、ほとんどの講座をこの選抜教育の卒業生が支えています。私のように卒業後、人事に異動して講座の運営を担当するものもいれば、ナレッジプロバイダーとして、講座の一つのコンテンツを考えてくださる方もいます。


今年、6月から始まって半年で登壇いただいたかたは社外、社内を含め、全部で53名になります。受講生の倍近い人たちが、この講座に関わってくださったかと思うと、本当に感謝です。


しかも、講座では登壇していない人たちの影響も大きく受けています。ラーニングイノベーション論での資料もたくさん使わせていただきました。


やっているときは、金土の泊まり込みとかもあって、結構きつい時期もありましたが、終わってみるとなんだか懐かしい気がします。
また、4年前に受けた内容を振り返るのにもちょうどよかったと思っています。



講座編は終わりましたが、彼らにはこれから試練の課題創造アクションラーニングが待っています。本当に眠れなくなる日々が続くのはこれからです。


4年前の私がそうだったように、ドラクエで例えるならば、彼らはまだスタート地点でお城の中のいろいろな人に話を聞いて、こんぼうや薬草などをそろえたばかり、レベル1の状態といったところでしょう。これからスライムを倒しに城の外へ越境していく必要があります。



毎年、なかなか越境できずに、自分の専門の狭い範囲で課題を見つけてくる人がいます。選抜教育でなければ、まあそれもいいでしょう。
でも、越境するのに十分なことはやってきました。毎年、越境して広い視点を身につけていく人たちがたくさんいます。今年はぜひたくさんの越境学習者を出したいと思います。



実は、越境にたいして最大の壁は自組織の部長だったりするんです。超選抜であるがゆえに、成果を無難なところに求めようとする力が働きます。もちろん所属している組織によって違いはありますが。そういった力も振り切って自分の信念を貫いてほしいなあと願っています。



これからの私ができることは祈る事ぐらいなので。

アクセプタンス




Q×A=E


GEの有名な変革の方程式です。


Qは変革のコンテンツ。Eは効果。変革のコンテンツがいかにいいものであっても、効果が出るかどうかは、Aによります。


Aはアクセプタンス。組織の理念で言えば、浸透のメタファーで語られるものだと思います。変革のコンテンツに対して、どれだけ人々がコミットできるかと行ったところでしょう。



毎年、選抜教育の受講生に向けて、GEのクロトンビルでリーダーシップを教えている方に、講座を開いてもらっています。そこで教えてもらっているのが、GEの変革についてと、その中でもアクセプタンスをどのように大きくしていくかというCAPというツールです。



私は今年、4年ぶりに話を伺いましたが、GEのスピード感と変革の浸透といったところさえもシステマチックに考えて実行しているところが本当にすごいなと思います。


GEのように、本当に多様な人々が集まって出来ている巨大な会社の脅威は、その巨大さゆえにスピードが落ちる可能性があるということだそうです。巨大でありながらスピードよく実行するためには、組織形態もそうですが、変革を決まったプロセスで実施する、それを徹底してリーダーがやるということが必要なのだと感じました。


ある変革プロジェクトを実行するかしないかというのは、ワークアウトというやり方で決心する。決めた後は、CAPでその決めた事をいかに早く実行するかということを考える。


このやりかたが、どの会社にとってもいいというつもりはありませんが、企業理念でもそうですが、正解というものはないのだと思います。であれば、決めた以上は素早くやり続けるということを考えるという割り切りも大事です。
CAPの内容はここでは書きませんが、教育学の視点もうまく取り入れられているように感じました。



私個人は、GEの風土にはとてもあいそうにないので、中で働きたいとはこれっぽっちも思いませんが、リーダーシップの考え方、割り切り方など、とても勉強になる会社、組織体だなと思います。


GEの内部でも、こういったツール類のコンテンツは5年ごとにクロトンビルで見直しているそうです。そして、一度作ったものはずっと使い続けるともいっていました。もちろん、ジャックウェルチの時代以降の話ですが、そういった継続性というものもGEの強さなのだと思います。


それにしても、4年前に比べて、ずいぶん話の内容がわかるようになりました。それは自分が変わってきたからなのですが、そういった自分の変化を感じられるというところにも、おなじ話を聞く価値がありますね。



2010年12月3日金曜日

企業戦略に見る企業人の学び

立教大学大学院ビジネスデザイン研究科の大久保隆弘教授にご登壇いただいています。

シャープの企業戦略の事例をとても興味深く聞いていました。

オンリーワン戦略。とっても有名な話なので、聞いたことはあるかもしれません。ナンバーワンでは無いですと。世の中に無いものを創る、他者からマネをされるものを創り続けるというものです。


液晶テレビが出てくる前は、シャープと言えばブランド力のない家電メーカーでした。松下などと違って、ちょっと安めのテレビとかカセットレコーダーなどの会社だったと思います。電卓は有名でしたが、家電の中では安価な商品なので、ブランドには影響なかったかと思います。


シャープがトップブランドに躍り出たのは、液晶テレビです。亀山モデルというMADE IN JAPANの高品質を売りにしたブランドで、他社のテレビよりも高い値段で売られていました。


でも、今は元気がありません。各社もみんな同じく3Dテレビを発表し、シャープがトップを走っているというイメージはもう昔のこととなってしまいました。世界的に見ても、韓国、中国のメーカーが格安の液晶テレビを出していて、この間、LGのコマーシャルをとうとう日本でもやることになったのかと驚いています。


シャープには、緊プロという戦略に直結した仕組みがありました。緊急にやる必要のあるものについて、プロジェクトリーダーが各部署から指名で人を集めて、社長直結でプロジェクトを推進するという仕組みです。各部署のマネージャーは優秀な人を引き抜かれたくないと思うものですが、拒否権がないという仕組みです。


組織としてみた場合、通常は社長の目に留まらないような若手が緊プロに呼ばれて活躍することで、社長も組織内の優秀な人を把握できるし、成長の機会を与えることも出来ます。


いい仕組みがあったのにも関わらず、なぜ、液晶テレビはだめになってしまったのでしょうか?


サムソンは、現地に溶け込んでその土地にあったものを創るように本社に要求します。このやり方は、エスノグラフィーそのものです。販売店も、ローラー作戦で増やしていき、サムソンが当たり前だと現地の人に思わせてしまいます。見かける回数が多いと、みんなが持っているような気になります。



それに対して、新しく生み出した液晶テレビというものをシャープは有効活用できなかったのかもしれません。緊プロで取上げられるもの=新製品、新開発のもの、は社内でもプライオリティーが高いのですが、それをどのように売るかというものを、少し軽く見ていたような気がします。人が育つのに、緊プロがいい場であったかもしれませんが、新しい物を生み出すことに重きを置くばかりに、売るということを軽視するように学習してしまった結果なのかもしれません。


もちろん、為替の問題、国の政策の違いなど諸条件はありますが、組織内にいると、企業の戦略が何を学んで何をアンラーンするかということに対して大きな影響を与えます。でもそれは、企業の盛衰に直結するということです。


結果としてではあるものの、組織外から学ぶということは、組織内における企業戦略から学ぶことが出来なかったものに対してのポートフォリオの役割をしているのかもしれません。

ピクニック・イン・ザ・ダーク

ここ何年か、いろいろなところで体験したという話を聞いていたダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。


メンバーは、慶應 MCC ラーニングイノベーション論 1 期生と 2 期生、そして中原研の皆さんです。全員で 36 名の参加でした。

9 人で1チーム、全部で4チームに分かれて、暗闇に入っていきます。 1 チームに1人、ガイドをしてくださる人がついています。


体験して気づいたことがいくつかあります。


一つは、私の体験したチームには、隊長と呼ばれる人がついてくれたのですが、隊長は視覚障害をもっているにも関わらず、暗闇に入っていくと、目が見えているように行動します。「こちらに来てください」とか、「ここに池があります」とか「椅子があります」とか教えてくれます。もちろん、暗闇の中を憶えているので分かっているのだと思いますが、全く分かっていない自分達との違いが鮮明になります。暗闇で動き回っている間、隊長だけは周りが見えているような錯覚に陥っていました。      


次に、暗闇に入る前に、一つルールを教えてもらいます。自分のニックネームと行動を 1 セットで周りの人に伝えます。そうやって入っていくと、みんな良くしゃべります。そしてみんな助け合います。隣の人がしゃべっていないと、気配が消えていきます。不安を消すように助け合い、しゃべりあうということです。気配を感じる為に聴覚、触覚、嗅覚などの感覚が鋭くなります。


しかし、暗闇からみんなが出てくると、しゃべらなくなります。隊長からも、「皆さん、急にしゃべらなくなりましたね」と言われました。周りのものが確認できるという安心感が広がり、しゃべる必要がなくなっていきます。しゃべるということ以外での会話が大きいということも言えるかもしれません。暗闇に入っているあいだにとても疲れたからかもしれません。



終わってから振り返ってみると、ほんの少し違和感が残りました。 なぜ、暗闇の中ではしゃべりあい助け合うのだろうか? 目が見えないという状況に置かれたときには、生命の根源的な危機感が生まれるのかもしれません。一人では対処できない状況において、生き残る為の原始的で本能的な行動なの? ジェネレイティブ・ダイアログでのメンバーの関わりとダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇の中で感じた一体感は同じなのだろうか?



確か、池谷さんの脳の本に、脳は勘違いするということがかかれていたような気がします。例えば、つり橋で告白すると、つり橋の恐怖でのどきどきと告白でのどきどきを勘違いしてしまうとか。


ダイアログ・イン・ザ・ダークでの体験はなんだったのかもう少し考える必要がありそうです。

2010年12月2日木曜日

笑顔イベント

みんなが笑顔で仕事が出来るために、私が出来る事は?


人事部門の組織活性化活動の1チームが笑顔イベントを開いたときの、ワールドカフェでの話し合いのテーマです。


イベントの初めに、社内でいつも笑顔の人と、社外の人の二人から笑顔についてご自身のストーリーを語っていただいて、その後、ワールドカフェで全員で話し合います。


参加者は50名ちょっと。社内外の人が入り交じって、とっても良い雰囲気の会になりました。


今回は、私は参加者として、純粋に会を楽しんでいました。ファシリテーターは、組織活性化全体の中心人物ですが、今回初めてファシリーターをトライしました。こういった場でのファシリテーターとして最も大切な事、参加してくださった方のあり方を信じて、場を参加者にゆだねる、ということが出来ていて、参加した皆さんがとても心地よい場に感じられていたと思います。


細かい点はいろいろありますが、大切な事を手放さずにして、後は経験を重ねることが大事だと思います。また新たにすばらしいファシリテーターが生まれました。


会に参加して私の心に残ったものは、「今までよりちょっと隣の人の事を知る」というものです。


終わった後の懇親会も35名程度の人が参加していて、お店も貸し切り。いつもの懇親会と違って、こういうのっていいよね!という声も聞こえてきました。


準備された方々はとっても大変だったと思いますが、こういったイベントが組織文化を少しづつ進化させていくのだと思います。


今後も続いていけばいいな。

2010年12月1日水曜日

身体の記憶

記憶力がいいってどういうことでしょうか?



昔から、地名を沢山覚えているとか、国旗の国の名前を言えるとか、そういう人のことを記憶力がいい人と聞かされてきたような気がします。



テレビで見る記憶力のテストでも、無関係な文字列を憶えるというのが多かったと思います。



自分の中での記憶力とは、そういった言葉にしたモノを覚えているということが無意識の中にありました。



良く考えてみると、そんなことはないんですよね。言葉にできない風景や匂い、感触なども憶えています。



でも、そう言った感覚を記憶力が良いと言われてこなかったので、いままであまり意識していませんでした。



慶應MCCの近藤さんのワークショップで、身体を動かしていると、言葉では表現できない動きが、記憶できてしまう。まあ、皆出来ていましたし、当たり前といえばそれまでですが。



言葉にできないことをあっさり憶えてしまう。そう言った認識を得られただけで、自分にとっては大きな学習でした。




また、前屈というのがありますが、それが身体の固い代表のように思われていますが、実はそこが固いだけで、身体の固さとは違うということも言われていました。



確かに筋肉や関節は身体全体にあるので、前屈で使う部分だけではないです。言われてみればそのとおり。



記憶力を測るのに、言葉だけを使っていることと同じですね。



もう少し記憶力というものについて、考えてみようと思います。

2010年11月29日月曜日

企業のDNA

DNAとは、生命の進化の過程で出来た、ある生命をそのものたらしめるようにするための設計図。



企業のDNAというメタファーをいろいろなシーンで聞きますが、その企業がその企業らしく存在する為のものを差しています。



そのDNAというものは、創業者や、企業の歴史上のリーダー達によって形作られます。企業内において、歴史の教育があるのは、その為だからとも言えます。



しかし、私の会社には、その歴史教育がこれまでほとんどありませんでした。私が自社の歴史について触れたのは、入社して11年目の選抜教育を受けた中でした。



最近、ようやく新入社員の研修の中でやっているようですが、今だに、自分の組織の歴史どころか、創業者の名前を知らない人が沢山います。



自分が4年前、自社のDNAを知った時に衝撃と納得感が入り混じった感覚を、少しでも周りの人に感じてもらいたい。そして、これからの未来を考えてもらいたい。そんな思いから、今年、人事部内でDNAの勉強会を始めました。



1回目は、企業の歴史編。2回目はヒーロー編です。



先月行った歴史編は、まずまずの手応えでした。今週の2回目に向けて、準備中です。



企業とかブランドとか、そういったものを形作っているのは、モノなのではなく、その背後にいる人たちなんだということを少しでも感じてもらいたいなと思っています。



先週の土曜日、ラーニングイノベーション論のメンバーから、自分の企業の文化にちなんだ話を沢山聞きました。とても面白く、また、その文化に合わせた取り組み、DNAを生かす取り組みが必要だと改めて気づかされました。



時には、DNAを変質させ、進化することも必要だと。

2010年11月28日日曜日

ジョブズのプレゼン

ジョブズのプレゼンは、なぜそんなに人々を魅了しつづけられるのでしょうか?
プレゼンのテクニックを習って、そんな人々を魅了するプレゼンをすることができるのでしょうか?



最近、いろいろなところで耳にしたり、目にしたりするようになった本のタイトルは、「スティーブ・ジョブズ 脅威のプレゼン」



今年の7月に発売になってから、マスコミ等でも取り上げられて、かなり話題になっている本です。社内でも結構読んでいる人の話を聞きます。



◯◯の法則とか書かれている本は、個人的にはあまり好きではないので買わないのですが、出版社の販売戦略で日本名タイトルが付けられていることもあり、最近はあまりきにならなくなってきつつあります。


ちなみに英語名のタイトルは、


The Presentation Secret of Steve Jobs


あまり違訳ではなさそうですね。


じっくり読んだわけではないですが、その中で特に印象に残ったことは3つあります。


1つ目は、ストーリーであること。
2つ目は、体験談であること。
最後は、場のしつらえ。



1つ目のストーリーというのは、本当に、最近身の回りに良くでてくるキーワードです。

研修で登壇していただいた一橋大学の楠木先生は、まさに、ストーリーで戦略を考えなさいと言っていて、面白いストーリーと感じるものは成功すると言っています。

その他に、社内の有志で開いている「ラーニング・カフェ」という対話の場の構成は、ストーリーテリング+ワールドカフェでやっています。

それ以外にもいろいろありますが、ストーリーのパワーというものを改めて感じています。



2つ目の、体験談であることということについてですが、ラーニング・カフェのストーリーをお願いする時は、お願いする人の体験を振り返ってもらって、そこからリアルな人の名前とか、日時とか、一見関係なさそうなことを話してもらうようにしています。聞いている方は分からなくても想像できて、いい話になります。

先週の土曜日のポスターセッション・おかわり!もナイスなトークではなく、リアルなトーク、ココだけのトークが満載でした。リアルな体験談であればあるほど、そこに感動が生まれるなと感じています。



3つ目は、場のしつらえ。
小道具を使うとか、服装に気をつけるとか、そういう風に本には書いてありますが、その本質は場のしつらえにあるように感じました。

対話の場のしつらえも同じですよね。主と客が一体になるような工夫をいたるところにします。しかも、主人の意図を押し付けることにならないようにバランスよく。

私がラーニングイノベーション論番外編で用意している場のしつらえは、中原先生のオープニング、ラップアップの資料を少し書き換えて出すことです。元々、主人の意図を押し付けられるくらい意図を持っているわけではないのですが、参加した皆さんがすっと場に入れるように、しかも楽しい場になるように、自らも楽しんでやっています。



これら三つの要素、ストーリー、経験、場、というのは、学びにとってもとても大事な要素です。これらが入っているプレゼンであれば、魅了されないわけがないような気がします。


あとは、自分がこのようなプレゼンができるかどうか。
練習あるのみですね。

ポスターセッション・おかわり




ラーニングイノベーション論の本編最終回、ポスターセッションが終了してから約1ヶ月経ちました。本編では、2人の話を聞く事しか出来なかったので、当然、みんなの話を聞きたいという欲求が出てきます。


慶應MCCの場所を借りて、本編最終回と全く同じレイアウトのように全員分の最終課題を飾ってもらって、ポスターセッションおかわりを開きました。


集まることが出来たのは、10名。1時すぎに一人を除き揃ったので、オープニングを始めました。資料は気分を盛り上げるために中原先生の最終回の資料を少し編集して使いました。軽く笑いをとりつつ、スタート。


場所は5時まで借りる事ができていましたので、休憩を2回入れて、一人15分で十分間に合う予定でした。


開始してみると、議論がのびるのびる。発表の5分は皆さん守ってくださいましたが、議論の10分は結構白熱で、6人終わったところで残り1時間しかありませんでした。

残りの4人はちょっと時間厳守で一人15分弱。なんとか時間内に終了することができました。皆さんの協力に感謝です。


最後のラップアップも中原先生の資料をベースにこちらも終了。
笑いを入れつつ、でもちょっとまじめに。大人の学びですから。



みんなの話を聞いて思ったのは、まだまだみんなの事を知らなかったなということと、知る事ができて良かったということ。また一歩、関係の質があがったように思えました。


いろいろな企業文化があって、それにあわせてやる事を考える必要がある。

自分がみんなのために出来る事がもう少しあるんじゃないか?もっと貢献できたらなと考えていました。



今の自分がどれくらいのものをもっているのかはわかりませんが、全部出してみようと思います。


今日の話の内容は書きません。ここだけの話がとっても多かったので。それだけナイスなトークではなく、リアルなトークが出るとってもいい雰囲気になっていました。



本編にはなかった、姫の発案のイイね!シート、ひらめいた!シートもとっても良かったです。ある人の発表を聞きながら、イイね、ひらめいたと思った事を一言書いて、隣の人に回す。隣の人は前に書いた人のコメントと自分の思っている事から発想してコメントを書いて次の人に回す。


そして、みんなが書いてくれたコメントをおみやげに持ってかえる。
今、皆さんに書いてもらったコメントを読ませてもらって、本当に温かい気持ちになります。



最後に、慶應MCCの場所だけでなく、液晶ディスプレイ、テーブルや全員分の資料のセッティング、イイねシートのコピー、ポストイット、ペン、バインダーなど私たちが学びやすいように場をセットしてくださった、ラーニングファシリテーターのホーヤさんに大大大感謝です。


これからも番外編はつづきます。

2010年11月27日土曜日

トーキングオブジェクト



かつて、ネイティブアメリカンが会合のときに使っていたのが、トーキングスティックと呼ばれる棒のことです。これを持っている人しか発言権がないルールになっています。


ダイアログの場でも、使われる事があると聞いていました。

今日参加した場作りを考える会で、トーキングスティックとおなじ役割をするトーキングオブジェクトが出てきました。今回、初めてこういうものを使っての対話の場だったので、楽しみにしていました。


始まってみると、なんだかとても違和感があります。まず、対話になっていない。自分の考えていた事をダウンロードするだけで、そこから対話、ダイアローグへ移ることが難しかった。



初めは、なれていないからなのかと思っていたのですが、今回の対話の場はワールドカフェスタイルということで、テーブルを代わって話し始めても、それはあまり変わりませんでした。



あまりにも違和感があったので、テーブルのみんなに、とってもコントロールされている感じがあって、話をすることに強制力を感じる、対話になっていないということを率直に話をしたら、ほかのメンバーも同じように感じていました。その思いを共有した後は、少し呪縛から逃れたかのようにいつもの対話に近い雰囲気で話す事ができました。



終わった後も、その疑問は残り続け、トーキングオブジェクトと自分の相性、自らの感性の問題なのかとツイッターでつぶやいてみると、私達の組織の変革をサポートしてくださっている方から、

「トーキングオブジェクトは、それを隣の方から手渡された瞬間、話そうと用意していた言葉が消え、その瞬間の想いが口から流れ出る…。その想いはサークル全体の集合的意識の流れから生まれ出るもので、意識の流れを信じてファシリテーションしていないと生成しません」

といわれました。



今日の場は、茶道の女将と、対話の場をいつも作っているファシリテーターの方の2名のゲストをきっかけに対話する場でした。初めは参加者とともにインタラクティブに進めようと思いますとファシリテーターの方が言っていましたが、女将と参加者のやりとりの1回目が少しかみ合っていなかったことがあって、それ以降、ファシリテーターの方がすぐに参加者とのインタラクションを切ってしまいました。



一体になりかけた場が、ゲスト2人の掛け合いとそれを別の場所からみているその他大勢という感じになりました。


そのままインタラクティブにやっていると、確かに発散したり、噛み合ないままの場になった可能性もあったと思いますが、ファシリテーターが場に参加している人たちのよい場をつくりたいというBeを信じる事ができず、自らのテクニックで当たり障りのない場にコントロールしたことが、トーキングオブジェクトのコントロール感につながっているのかといまになって振り返ってみるとそう思います。



かみ合っていなかった話の中に、熟達者は自分がオートでやっていることを言葉にすることが難しいとか、実は結構気づきがあってよかったので、あのまま続きをやっていたら、違うよい場になっていたのだろうなという予感はあります。


でもまあ、こういった場もなかなか体験できないので、自分にとってはよい経験になりました。



では、私はどうするのか。
お茶は心で楽しむもの。テクニックではないというのが今日改めて心に刻んだ一番の学びです。

まずは、三國連太郎主演の映画、利休をもう一度初めからみようかな。

2010年11月25日木曜日

あなたにとって良い仕事とは?




中原先生のLearning Barやラーニングイノベーション論に出ていた人であれば、すぐにわかりますよね。三井物産の渡辺さんが自社の組織理念を共有するということのスタートとして「よい仕事」ということを考える事から始めましたと紹介していただきました。

中原先生のLearning Barのブログ記事はこちら。




偶然なのか自分でもわからないのですが、同じ問いで人事部の中の20名で対話する場を作りました。


作ったというよりは出来てしまったというほうが適切かもしれません。その問いは、雲の切れ間から光がさしたかのように、自然に浮き出てきたのです。



半月ぐらい前に、部内の組織活性化推進メンバーより、何か話をしてくれないかという依頼を受けました。そこで、私が話をしようと思って、今日まで準備してきたのが、ラーニングイノベーション論で鉄道整備株式会社の矢部さんからお聞きした事例でした。カラーの資料で説明したかったので、矢部さんにお願いして、ラーニングイノベーション論の講義の中で使った資料のpdfを快くメールでいただき、準備を進めてきました。


講義だけではつまらないので、聞いている人たちにあるテーマで話をしてもらおうと考えていました。さて、どういうテーマにしようかと思ったとき、なぜ自分はみんなに矢部さんからお聞きした話をしたいのかという問いにぶつかりました。



頭の中が真っ白になっていくのを感じ、その問いだけが残ったとき、ある言葉が浮かんできたのです。


「仕事ってなんだろう?」


テッセイさんの仕事場には、いい仕事があふれていました。でも、それは、テッセイさんにとってのいい仕事だったんです。だったら、自分達にとってのいい仕事って何?



ドライビングクエスチョンというのは、こうやって心の底から生まれるのだなというよい体験でした。



テッセイさんの事例を紹介して、その後3グループに分かれて話し合った結果出てきたものは、

  ありがとうと言われること
  信頼されること
  ○○の会社の人っていいよねといつの日か言われたい

でした。


今回参加できなかった部員とも共有するため、話し合いの結果は事務所に張り出されると思います。


答えのないことだから、自ら定義するということが唯一の答えなのでしょう。そのきっかけに少しでもなってくれたらいいなとおもいます。



帰り際に、同じグループのメンバーから、「新幹線の話をしてくれてありがとうございました」、と言われました。同じグループのメンバーからそういうことを言われるとなんだかうれしくなります。準備してきてよかったと改めて感じました。




最後に、私にとっての良い仕事とは、「サスティナブルな社会の実現に貢献する事」。今は地球規模でこのテーマについて考えられる人たちを一人でも多く生み出すことを考えていきたいと思っています。


そのためには人は変わり続けなければ。まずは自分が変わり続けることによって。

「現場」を変える101人



日経ビジネススクールとヒューマンバリューの共同企画フォーラムで、9月より、ストーリーフォーラムが開催されています。フォーラムと言えば、管理職の偉い人や、有名な人が話をするのが普通ですが、実際は現場の実践者が苦労しながら改革を推進しているんです。


このフォーラムは、そういった、普段は着目されにくい人、でも大きな推進力を持っている人にスポットをあてて、その実践者のストーリーを聞き、参加者同士で対話をしながら学びあう場です。


いつもは私の職場で隣に座っている人が参加しているのですが、今回は都合が悪いということで、チケットをもらって代理で出席しました。


第1期の最後、5回目ということで、今回のストーリーテラーは富士ゼロックスの研究技術開発本部で研究に従事しながら、組織の変革を実践しているかたでした。


会場に行ってみると、知っている人がいるではないですか!なんと、ラーニングイノベーション論で一緒だった、西の社長が参加していました。こんな、大手町で西の社長と遭遇するとは思いもせず、偶然ってあるんだなと思いながら参加していました。


今回のストーリーテラーのかたのストーリーも、まさに偶然の積み重ねでした。
社内留学でMITに行っていた2年目に、研究テーマが変わって、自己組織化を目の当たりにした事、かえってきてからの事業所の統合、タスクへの任命、AIOSTとの出会い、他企業とのコラボレーションなどなど、数えればきりがないほど偶然が多いと感じました。



おそらく、偶然とは、まわりにいくらでもあって、それに気づけるか?なのだと思います。偶然に気づくことができるように、日頃から周囲への関心の感度を高めておくことが必要なのだなと感じました。どうしても、自分のメンタルモデルに固執してしまうと、見えているものも見えなくなるものです。偶然とはメンタルモデルを保留する事によって見えてくるものなのかもしれません。



参加されていた方は、全部で40名弱ぐらいでしたが、さすがにこういう会に参加される方々だけあって、皆さんと話をしていて、とても自然で心地よい時間でした。ラーニングイノベーション論の初回でも感じていましたが、越境学習者の集団であるからなのか、不思議な感覚です。



企画されている皆さん(といっても、ほとんどの方が知り合いなのですが)と、終わった後に少し話をしたのですが、5回目で、だんだん対話の場の雰囲気が変わってきた、徐々に軌道に載ってきて、手応えを感じられているようです。新しく、チャレンジングな取り組みですので、私も陰ながら応援しようと思います。



2期の再開を楽しみにしつつ。

2010年11月23日火曜日

マネージメント・バイ・ビリーフ


野中先生が少し前に共著で書かれた本で、マネージャーにたいして、信念を持ってマネジメントすべしというメッセージが書かれています。

そのメッセージは、とても心に響き、野中先生のありたい姿というものが現れているように見えます。



なぜ、この話題なのかというと、この本の最後の方に、SDSSECI ダイアログ セッション)という対話の場の事例が載っていて、今日はその受講案内を100名のマネージャーに送り、その後の受講日変更の対応に追われる事務処理な一日だったからなのです。



去年から数名でトライアルをやっていたのですが、もちろん、本に書かれている通りにはなかなかいかない。


トライアルを通してわかった事は、対話の場というものは、ファシリテーターがどのようにその場に存在したいと思っているかによって、変わってしまうということです。

まさに、主客一体となって、場は作られるのです。




それまでの私はとても恵まれていて、すばらしく場をホールドしてくださるファシリテーターの方々にしかお会いしていませんでした。その方々から実践で学んだ事を自分たちの場づくりに生かしてきていたので、そういう場があたりまえのものなのだと思っていました。

探求の場になっていないというのはどういう事なのかというのを実感できていなかったのです。



トライアルでのファシリテーターの方は、問題解決型のファシリテーターでした。問題が明確で、会議で短時間で結果を出すためには、そういったファシリテートも必要なのですが、今回の対話によって自らを探求する、マネジメントを探求するという目的にはあっていませんでした。


結局、ファシリテーターが向かいたい方向にコントロールされた感じが残っただけです。予定調和な場だったのです。




でも、この体験は新たなステップを呼びました。
ファシリテーターを内部でやろうという決心をしたきっかけになったのです。


今年度の初め、社内のラーナーに声をかけ、15名のメンバーが揃いました。彼らとともに、ジェネレーティブファシリテーターとして、どうありたいのか?どうすれば探求できる対話の場を作れるのか?というのを探求しながら、ようやく実施の段階まできました。もちろん、様々な方々にサポートを受けながらです。




なので、今日は事務処理ばかりの一日だったのですが、これからようやくこれまで準備してきたことの最終段階、これから、マネジメント・バイ・ビリーフを探求する場ができる、とっても楽しい事務処理だったのでした。




でも、久しぶりに一日中机にかじりついていたので、さすがに体が疲れました。

2010年11月22日月曜日

センシング

Uプロセスの続きです。


今までもUをおりる事を意識してきたつもりでしたが、ぜんぜん出来ていなかったということに、本を読んでいてわかったので、まずは、しっかりと降りれるように意識をしています。



今日は、人事部門の中の活性化活動で横浜の本社に出張でした。人事部に異動になってから1年半、本社の人事フロアに顔を出すようになってからしばらく経ちますが、ずいぶんと知り合いが増えてきて、いまでは出張で行ってもすっかりなじんでいる感じです。



そんなことはともかく、出張の目的は大きく2つ。


一つめは、人事部門の役員とのランチョン。活性化活動のメンバー5人と眺めの良い役員フロアでランチを食べながら、学びについての話をしました。
早速、センシングのターゲット発見ということで、同化できるかトライしてみました。


むむむー。難しい。そりゃそうですよね、よく知らないし。でも、関心事はよくわかるものでした。例えば、

・会社の学びと個人の学びをどう結びつけるか?
・学び続ける人=かわり続ける事が出来る人をどうやったら増やすことができるか?
・ワールドカフェのような対話の場っておもしろいね

とか、結構関心がずれていなかった。(というか、合わせてもらっていたのかもしれませんが)



ちょっとシーイングまでは行ったかなと思いますが、センシング(同化)までいかなかったので、続いて二つめの目的で試す事にしました。


二つめの目的は、活性化の活動のメンバーと、産能大の長岡先生に相談しようと思っている対話の場づくりの作戦会議。


その中で、今度はいつもは違う場所で働いているメンバーをターゲットに同化(センシング)を試してみました。


が、やっぱり難しい。メンバー同士の対話は、ほとんどポジティブなんですが、人を巻き込むところでなんとなく壁があります。その壁を気にしないようにポジティブにしようとしてもうまくいかないので、ネガティブと思える壁にたいして、同化して向き合わなければいけなかったなと思います。



それが出来なかったのが、今日一番の反省点です。


ポジティブアプローチは現状のネガティブから目をそらすことではないので、その事にあらためて気づけたのはよかったと思います。


旅はまだまだ先がありますね。

2010年11月21日日曜日

予言の書


待ちに待ったU理論の翻訳本を手にして、1/3ちょっと読み終わりました。はじめから驚愕の感覚を覚えています。


この感覚はこれで2度目になります。一度目は、2年ぐらい前になると思いますが、学習する組織、10の変革課題フィールドブックを読んだときの事でした。


自分がこれまでやってきたこと、苦労し、試行錯誤したことなどがことごとく書かれている本でした。しかも、何年も前に書かれているのです。
まさに、私にとって初めて出会った予言の書でした。


そして、U理論の本。

もう二度と予言の書にはお目にかかる事はないだろうと思っていたのに、あっさり期待を裏切られました。
いままでやってきたことがいかに浅いものであったのかを突きつけられました。


Uプロセスは本当に難しい。それこそ鍛錬のいる事だと思います。でも、これからの世の中に必要なものなのだからこそ、この難しい事に取り組んでいこうということは感覚で感じています。


この本で、これまでのUプロセスの理解に対して、より深い部分で理解がすすんでいくだろうという予感がしています。



それだけではなく、このU理論の訳本が今の時期に発売になったことも偶然ではないと思えています。


おそらく、半年前にこの本を手にしていたとしたら、今の理解に到達していなかったと思います。Process Uが翻訳されて出るというのはずいぶん前に聞いていました。その後、翻訳にずいぶん苦労しているというのも聞いていました。そして、その遅れている間にラーニングイノベーション論を受けていなかったとしたら、と思うと、何か別のものにタイミングを仕組まれたと思ってしまいます。


そんなことはありえないのですが、偶然にしては出来すぎています。


まだまだプレゼンシングに到達できないでいますが、学びの神のおかげで、一歩近づけたような気がします。