2010年12月18日土曜日

学びの意図を隠すとき




中原先生の「リーダーシップ発達の2つの考え方」というブログ
を読んでいて、ふと、自分はどうだったかと考えるところがありました。



引用すると、『参加するリーダーの側からみれば、それは気の利いた「戦略の会議」「ビジネスの会議」にしか見えないかもしれません。しかし、それでいいのです。彼らは「学びの言語や意図」「HRの言語や意図」について知っている必要はありません。』
というところです。



自分の場合はどうだっただろうかと考えてみると、特に学びの言語や意図について積極的に知らせない場合と知らせる場合の2つがあることがわかりました。


知らせる場合というのは、あえてそれを言う事で、注意力を広げてもらいたい時です。

例でいうと、ラーニングイノベーション論のインプロのセッションで、インプロの体験をした後に、高尾先生が解説をしてくれていたことです。インプロの意図というのは、なかなかわかりにくいものではあるのですが、経験をした後に意図を開示することで、注意力の幅が広がります、学びというのは、注意力が向いているところで始まると思っているので、いろいろなところに注意力を向けられる意図の開示は必要かなと思います。


知らせない場合もあります。

知らせない場合は、意図について考えてほしいとき、自分で気づく必要があると思ったとき、開示しても押しつけにしかならないとき、です。


意図を気づいてほしいときは、参加者全体で気づくように場だけセットします。場への参加者の多様性が大事になりますが、誰かが気づけば、主催者側からの押しつけではなく、意図を気づいてもらう、注意力を向けるという目的が達成されます。



個人的には、知らせることに対するリスクがある場合を除いては、可能な限り学びの言語や意図というものは知っておいた方が良いと言うのが私の持論のようです。

この持論は、私の経験からきているものであるのは明白なのですが、経験について書き出すと長くなってしまうので、それはまたの機会に。



こうやって考えてみると、意図を知らせる、知らせないというのは学びの効率ということに重点を置いているように思います。我ながら、かなり合目的的ですねぇ。

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