2010年12月3日金曜日

ピクニック・イン・ザ・ダーク

ここ何年か、いろいろなところで体験したという話を聞いていたダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。


メンバーは、慶應 MCC ラーニングイノベーション論 1 期生と 2 期生、そして中原研の皆さんです。全員で 36 名の参加でした。

9 人で1チーム、全部で4チームに分かれて、暗闇に入っていきます。 1 チームに1人、ガイドをしてくださる人がついています。


体験して気づいたことがいくつかあります。


一つは、私の体験したチームには、隊長と呼ばれる人がついてくれたのですが、隊長は視覚障害をもっているにも関わらず、暗闇に入っていくと、目が見えているように行動します。「こちらに来てください」とか、「ここに池があります」とか「椅子があります」とか教えてくれます。もちろん、暗闇の中を憶えているので分かっているのだと思いますが、全く分かっていない自分達との違いが鮮明になります。暗闇で動き回っている間、隊長だけは周りが見えているような錯覚に陥っていました。      


次に、暗闇に入る前に、一つルールを教えてもらいます。自分のニックネームと行動を 1 セットで周りの人に伝えます。そうやって入っていくと、みんな良くしゃべります。そしてみんな助け合います。隣の人がしゃべっていないと、気配が消えていきます。不安を消すように助け合い、しゃべりあうということです。気配を感じる為に聴覚、触覚、嗅覚などの感覚が鋭くなります。


しかし、暗闇からみんなが出てくると、しゃべらなくなります。隊長からも、「皆さん、急にしゃべらなくなりましたね」と言われました。周りのものが確認できるという安心感が広がり、しゃべる必要がなくなっていきます。しゃべるということ以外での会話が大きいということも言えるかもしれません。暗闇に入っているあいだにとても疲れたからかもしれません。



終わってから振り返ってみると、ほんの少し違和感が残りました。 なぜ、暗闇の中ではしゃべりあい助け合うのだろうか? 目が見えないという状況に置かれたときには、生命の根源的な危機感が生まれるのかもしれません。一人では対処できない状況において、生き残る為の原始的で本能的な行動なの? ジェネレイティブ・ダイアログでのメンバーの関わりとダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇の中で感じた一体感は同じなのだろうか?



確か、池谷さんの脳の本に、脳は勘違いするということがかかれていたような気がします。例えば、つり橋で告白すると、つり橋の恐怖でのどきどきと告白でのどきどきを勘違いしてしまうとか。


ダイアログ・イン・ザ・ダークでの体験はなんだったのかもう少し考える必要がありそうです。

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