2011年1月20日木曜日

ソーシャルメディアと学びの可能性

PARTYstreamという学びのパーティーに行ってきました。検索するとそのときの状況が沢山出てくると思うので、状況説明は軽くにしておきます。

100人ぐらいのパーティーなのですが、普通のパーティーと少し違うのは、準備段階から参加者が関わることができ、当日は学びに関するゆるゆるトークがあって、会場の様子はUSTで流れます。

遠方で出られない人や、抽選に落ちてしまった人も、会場の様子を見てツイッターで参加することができます。


このソーシャルメディアと学びの可能性について実践的に実験をするという場に参加して、感じたことがいくつかありますので、ここに記憶しておきます。



一つ目は、ソーシャルメディアのシステムに対して、それに触れ始めた人達のスキル?使い方が自分も含めてまだ追いついていないのかなということです。

いつも仕事でもイノベーションイノベーションといろいろ身の回りで考えられているのですが、イノベーションというのは、人の期待に対して、機能が足りないところから始まると思っています。

例えば、自動車というのも一つのイノベーションですが、これが発明された頃は馬車よりも性能が悪かった。ですが、このソーシャルメディアというのは、システムが生まれたときから人の期待を飛び越しているように感じます。だから、このシステムをつかいこなす為には、人が成長しなければならない。

人の成長、学びによって、ソーシャルメディアがどのように使われるようになるのかというのは、一つの可能性としてあるのだろうと思います。



二つ目は、ソーシャルメディアの可能性を考えるときに、既存のシステムがなくなってしまうというように極端に人は考えてしまいがちになるということです。

これも人の問題なのですが、例えば、電子書籍が増えてくると、既存の本がなくなるとか、出版社ってなくなってしまうのではないかとか。

また、話下手な日本人にとっては、ソーシャルメディアがあれば、コミュニケーションの問題が解決するんじゃないかとか。個人的には、本って書いてある情報が分かればいいだけでなく、ページをめくる感触とか、紙の質感とか、机の上に並んでいる姿とか電子書籍には無いよさが沢山あります。

コミュニケーションだって、リアルにあって話をすることにも沢山の良さがあります。本当にその人を知ろうと思ったら、やっぱり会いますよね。

どちらか一方に極端に考えるのではなく、特徴を知った上でリアルとバーチャルの間を使いこなせるようになるのもやっぱり人の成長次第なのかもしれません。



最後に、価値について。

今までであれば、本はこれくらいの価格帯が通常とか、映画をみるとこれくらいかかるとか、内容には関わり無くある種の相場というものがあったとおもいます。

それは、例えばその本を出版するに当たって、内容を作ること以外に多くの経費がかかっており、その経費+儲け代によっておおよその価格が決まってしまうからだと思います。それが、そのコンテンツ本来の価値に対する値段付けということに変わっていくのかもしれません。

だれが作ったのではなく、どれだけそれが欲しいのかによってコンテンツの価格が決まる。こともあるかもしれませんね。だからコンテンツをいかに価値のあるものにしていくかといったところに、これからの出版業界の存在価値があるのかもしれないなーと思ったりして。



こんなことを偉そうに言っていても、まだまだフェースブックも使いこなせていないので、まずは、もうすこし自分自身のソーシャルメディアリテラシーを向上させないとだめですね。

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