ラーニングイノベーション論の最後に、課題があります。自社の未来を作るということで、それぞれの受講者が自社の課題を見つけてきて、企業内人財育成家の挑戦をそれぞれが発表します。
私の宣言は、社内でラーニングイノベーション論をやってみるというものでした。
まずはトライアルとして、セッション1を11月ごろにやったのですが、その後、2週間ごとに定期的にやろうとしていた時間に、いろいろな突発がはいってしまい、今週ようやくセッション2を開くことができました。
本編よりも短くしているので、セッション2のテーマは働くみんなの動機論、モチベーションについて。
テッセイの矢野さんのお話と、山下先生のお話を私から説明して、その後、みんなでダイアログをして、最後は中原先生のラップアップ資料でまとめる、という流れです。
全員で話をしていて思ったことは、自社の部門トップが交代してからの5年間の取り組みと非常に共通している点があるということに参加者が気づくということです。自社の取り組みの中にいるだけでは、なかなか気づきにくいことが、他社の取り組みやアカデミックな視点を通すと、自らの環境を客観視できるということです。
まさに、越境学習の効果。
具体的には「あー、あれってそういうことだったんだ」とか、「これって同じだよね」という発言が沢山出てきます。
自社の取り組みというのは、もちろんそういった種明かしというものは無いのですが、他社の事例の種明かしを通して自ら気づくこと自体、とてもよい気づきと実践のループに入ることができるなと感じました。
個人的な反省点は、モチベーションのセッションを受けたのがずいぶん前になってしまったこともあると思いますが、ピグマリオン効果の意味や、アンダーマイニング効果と言う言葉が説明の途中で出てこなかったことです。リハーサルが足りないというのもありますが、ちょっと忘れすぎです。海馬をもっと鍛えようと思います。
セッション3は知識創造理論の現在。
かなり忘れてしまっていますが、SECIモデルは外せません。
ちょっと気合入れて準備します。
2011年1月27日木曜日
2011年1月26日水曜日
ワールドカフェばかり
最近、よく目に付くのがワールドカフェという話し合いの手法を使った対話の場です。まあ、自分でも関わりのあることなので、特に目についているのだと思いますが、こうやっていろんなところで広まってくると、なぜワールドカフェばかりがそんなに広まっているのだろうと不思議になります。
私達が社内でワールドカフェを企画し始めた一年ちょっと前を振り返ると、ごく一部の人達だけがワールドカフェという言葉を知っていて、少しづつ広まっているという感じでした。なので、ワールドカフェがどれくらい全国で行われているかおおよそ把握できるレベルでもありました。
ワールドカフェ自体は、それほど準備を必要としません。参加した人も、手ぶらでふらっとやってきて、対話を楽しんで、それぞれの気付きをもって返ります。
自分達もワールドカフェの場を作ったりしているので、もちろんそれはそれでいいのですが、これだけ広まってくると、本当にそれだけでいいの?と考えてしまいます。
ワールドカフェに出た後に、感想を聞くと、「あー楽しかったです。また来ます」という声が圧倒的に多いです。参加される人達は、どういうことを目的に参加しているのでしょうか。
ワールドカフェの当初の目的には、集合的な知を生み出して、新しい未来を創造するというのがあったかと思います。もちろんそれは、1回2回のワールドカフェで生み出されるものではないのかもしれません。が、本当にそれが生み出されつつあるのか、それとも普段の仕事から一歩離れて、関係者がいないところで息抜きをしているだけなのか(もっともこれがだめだと言うつもりはありませんが)よく見つめる必要があると思っています。
ワールドカフェ以外に、ポジティブアプローチのAIやOSTなど本当にパワフルな組織変革の手法と言うのがいくつかあるのですが、ワールドカフェがなぜこれだけ受け入れられ、他の手法がそれほど広まっていないというのは何故なのか?
もう少し、実践者の私は実践を繰り返しながら、観察者の私は様子を見てみることにします。
私達が社内でワールドカフェを企画し始めた一年ちょっと前を振り返ると、ごく一部の人達だけがワールドカフェという言葉を知っていて、少しづつ広まっているという感じでした。なので、ワールドカフェがどれくらい全国で行われているかおおよそ把握できるレベルでもありました。
ワールドカフェ自体は、それほど準備を必要としません。参加した人も、手ぶらでふらっとやってきて、対話を楽しんで、それぞれの気付きをもって返ります。
自分達もワールドカフェの場を作ったりしているので、もちろんそれはそれでいいのですが、これだけ広まってくると、本当にそれだけでいいの?と考えてしまいます。
ワールドカフェに出た後に、感想を聞くと、「あー楽しかったです。また来ます」という声が圧倒的に多いです。参加される人達は、どういうことを目的に参加しているのでしょうか。
ワールドカフェの当初の目的には、集合的な知を生み出して、新しい未来を創造するというのがあったかと思います。もちろんそれは、1回2回のワールドカフェで生み出されるものではないのかもしれません。が、本当にそれが生み出されつつあるのか、それとも普段の仕事から一歩離れて、関係者がいないところで息抜きをしているだけなのか(もっともこれがだめだと言うつもりはありませんが)よく見つめる必要があると思っています。
ワールドカフェ以外に、ポジティブアプローチのAIやOSTなど本当にパワフルな組織変革の手法と言うのがいくつかあるのですが、ワールドカフェがなぜこれだけ受け入れられ、他の手法がそれほど広まっていないというのは何故なのか?
もう少し、実践者の私は実践を繰り返しながら、観察者の私は様子を見てみることにします。
2011年1月24日月曜日
キッザニアレポート
話題になってからずいぶん経ちますが、ようやく初めてキッザニア東京に行ってきました。いろいろ気づいたところがあるので、2つの視点から振り返ってみようと思います。
まずは子供の学びの視点から。
キッザニアの説明を読んでいると、仕事の楽しさと厳しさを学ぶとあります。それが本当に学ばれているかについて、ちょっと考えてみました。
まず、私の娘が最初に体験したのが、パン屋さん。続いてハンバーガー屋さん・・・えーと、食べ物ばかりですか?しかも選んだ理由は、パンが好きだから、ハンバーガーが好きだから、食べられるから。。。
お仕事なんだから、本当はお客様が食べるんだよー、おーい。
どうやら仕事とは別のところに楽しみを見いだしてしまっているようです。が、作っているあいだは真剣な顔をして作っていたのと、終わってから感想を聞いてみると、作るのは楽しかったということなので、動機はどうであれ、楽しさは学んできたようです。
その後に行ったのが、ガソリンスタンド。ようやくおなかがいっぱいになったようで、行く前に候補にあがっていたピザ屋さんは取り消しになったようです。
ガソリンスタンドは、挨拶が大事です。おねえさんにしっかり教わって、ガソリンスタンド終了。終わってから感想を聞くと、「つまらなかった」そうです。あいさつもやれと言われたので仕方なくやっていたそうです。
それから先生が怖かったと言っていました。もちろん先生とは、ガソリンスタンドで挨拶とかを教えていたおねえさんです。それ以来、ガソリンスタンドにはまったく興味を示さなくなってしまいました。
どうやら、仕事の厳しさを学ぶというよりは、彼女にとってガソリンスタンドというのは面白くないものというように学習してしまったようです。
子供も大人もそうですが、まずはエンジョイメントがあってのストレッチということなのでしょうか。
次に、企業のマーケティング視点です。
キッザニアの各お店は、企業の協賛で成り立っています。企業側にとっては、もちろん格好の宣伝になるからでもあります。
いろいろなお店を見ていて思ったのですが、将来の顧客を育てるというよりは、その親に直接アピールする効果のほうが大きいと思いました。
子供は合計4つの仕事をしましたが、そのうち直接会社名を覚えているのは、モスバーガーだけでした。いままでもモスバーガーに行って食べた事はあるのですが、今回、自分で作ってみて初めてモスバーガーをおいしいと感じたそうです。
では、次からモスバーガーに行くか聞いてみたら、「マックのハッピーセットでポケモンのおもちゃがもらえるときはマックだけど、それ以外はモスバーガー」だそうです。ポケモンにはかないませんでしたが、宣伝効果は出ていました。
それ以外のパン屋さん、ガソリンスタンド、設計士については、会社の名前は覚えてないそうです。ガソリンスタンドにおいては、もう行きたくないということなので、マーケティング戦略からすると、逆効果ですよね。
親としては、子供が楽しそうにしているのかが一番気になっているところです。カメラを構えて、子供の笑顔をみんな狙っています。厳しさを学んでよしと思う親も一部にはいるでしょうが、子供が帰ってきてつまらなかったと言ったら、マーケティングとしては逆効果でしょうね。
企業側は、うまくやらないとなにをやっているか分からないことになりそうです。
最後に、娘はまた行きたいと言っているので、キッザニアとしては成功なのでしょう。キッゾというキッザニア紙幣で欲しい物が買えなかったというのが一番の理由のようですが。
2011年1月21日金曜日
こんな学びのサードプレイスがあったら
昨日、役員からボストンのMITスローンスクールに出張で行ってきたときのことを少し聞きました。
「ボストンってところはねー、大学がいっぱいあって、夜な夜な皆集まってきてビジネスのこととか学びのこととか話をしているんだよー」
あーそれ知ってる知ってる、確か中原先生がLearning Barを開くときのベースになった体験も、ボストンでのそういったことだったはず。
日本にも、そういった大学教授や学びたい人達が集まってくるバーのようなところが日常的にあったらなぁと。
そこまで思考が進んで、ふと、それって学びのサードプレイスだよねと。そういえば自分達だって学びのサードプレイスを企画してやっているやん。でもなんだか違うような・・・・。
いろいろ違いはあるのですが、夜な夜な集まってきてそこに学びが生まれるサードプレイスと自分達がやっている学びの場との決定的な差は、準備とか募集とか抽選とかそんなことをやっている人がいるかいないかということなのかもしれません。
準備をしっかりやるというのもいいのですが、できれば夜な夜な集まって、テーマも即興、そんな偶然性から学ぶ場ができるといいなーと考え始めています。それこそ脱予定調和。
このあいだのPARTYstreamでも、ソーシャルメディアでは、著者と読者が入れ替わることもありうるといっていました。講師と受講生が即興で入れ替わる。それこそ、インプロの公演であるように、みんなからお題を何か頂戴して、そのお題について知識を持っている人が即興で講義をする。
そんな場がいつかできたらいいなぁ。
「ボストンってところはねー、大学がいっぱいあって、夜な夜な皆集まってきてビジネスのこととか学びのこととか話をしているんだよー」
あーそれ知ってる知ってる、確か中原先生がLearning Barを開くときのベースになった体験も、ボストンでのそういったことだったはず。
日本にも、そういった大学教授や学びたい人達が集まってくるバーのようなところが日常的にあったらなぁと。
そこまで思考が進んで、ふと、それって学びのサードプレイスだよねと。そういえば自分達だって学びのサードプレイスを企画してやっているやん。でもなんだか違うような・・・・。
いろいろ違いはあるのですが、夜な夜な集まってきてそこに学びが生まれるサードプレイスと自分達がやっている学びの場との決定的な差は、準備とか募集とか抽選とかそんなことをやっている人がいるかいないかということなのかもしれません。
準備をしっかりやるというのもいいのですが、できれば夜な夜な集まって、テーマも即興、そんな偶然性から学ぶ場ができるといいなーと考え始めています。それこそ脱予定調和。
このあいだのPARTYstreamでも、ソーシャルメディアでは、著者と読者が入れ替わることもありうるといっていました。講師と受講生が即興で入れ替わる。それこそ、インプロの公演であるように、みんなからお題を何か頂戴して、そのお題について知識を持っている人が即興で講義をする。
そんな場がいつかできたらいいなぁ。
2011年1月20日木曜日
ソーシャルメディアと学びの可能性
PARTYstreamという学びのパーティーに行ってきました。検索するとそのときの状況が沢山出てくると思うので、状況説明は軽くにしておきます。
100人ぐらいのパーティーなのですが、普通のパーティーと少し違うのは、準備段階から参加者が関わることができ、当日は学びに関するゆるゆるトークがあって、会場の様子はUSTで流れます。
遠方で出られない人や、抽選に落ちてしまった人も、会場の様子を見てツイッターで参加することができます。
このソーシャルメディアと学びの可能性について実践的に実験をするという場に参加して、感じたことがいくつかありますので、ここに記憶しておきます。
一つ目は、ソーシャルメディアのシステムに対して、それに触れ始めた人達のスキル?使い方が自分も含めてまだ追いついていないのかなということです。
いつも仕事でもイノベーションイノベーションといろいろ身の回りで考えられているのですが、イノベーションというのは、人の期待に対して、機能が足りないところから始まると思っています。
例えば、自動車というのも一つのイノベーションですが、これが発明された頃は馬車よりも性能が悪かった。ですが、このソーシャルメディアというのは、システムが生まれたときから人の期待を飛び越しているように感じます。だから、このシステムをつかいこなす為には、人が成長しなければならない。
人の成長、学びによって、ソーシャルメディアがどのように使われるようになるのかというのは、一つの可能性としてあるのだろうと思います。
二つ目は、ソーシャルメディアの可能性を考えるときに、既存のシステムがなくなってしまうというように極端に人は考えてしまいがちになるということです。
これも人の問題なのですが、例えば、電子書籍が増えてくると、既存の本がなくなるとか、出版社ってなくなってしまうのではないかとか。
また、話下手な日本人にとっては、ソーシャルメディアがあれば、コミュニケーションの問題が解決するんじゃないかとか。個人的には、本って書いてある情報が分かればいいだけでなく、ページをめくる感触とか、紙の質感とか、机の上に並んでいる姿とか電子書籍には無いよさが沢山あります。
コミュニケーションだって、リアルにあって話をすることにも沢山の良さがあります。本当にその人を知ろうと思ったら、やっぱり会いますよね。
どちらか一方に極端に考えるのではなく、特徴を知った上でリアルとバーチャルの間を使いこなせるようになるのもやっぱり人の成長次第なのかもしれません。
最後に、価値について。
今までであれば、本はこれくらいの価格帯が通常とか、映画をみるとこれくらいかかるとか、内容には関わり無くある種の相場というものがあったとおもいます。
それは、例えばその本を出版するに当たって、内容を作ること以外に多くの経費がかかっており、その経費+儲け代によっておおよその価格が決まってしまうからだと思います。それが、そのコンテンツ本来の価値に対する値段付けということに変わっていくのかもしれません。
だれが作ったのではなく、どれだけそれが欲しいのかによってコンテンツの価格が決まる。こともあるかもしれませんね。だからコンテンツをいかに価値のあるものにしていくかといったところに、これからの出版業界の存在価値があるのかもしれないなーと思ったりして。
こんなことを偉そうに言っていても、まだまだフェースブックも使いこなせていないので、まずは、もうすこし自分自身のソーシャルメディアリテラシーを向上させないとだめですね。
100人ぐらいのパーティーなのですが、普通のパーティーと少し違うのは、準備段階から参加者が関わることができ、当日は学びに関するゆるゆるトークがあって、会場の様子はUSTで流れます。
遠方で出られない人や、抽選に落ちてしまった人も、会場の様子を見てツイッターで参加することができます。
このソーシャルメディアと学びの可能性について実践的に実験をするという場に参加して、感じたことがいくつかありますので、ここに記憶しておきます。
一つ目は、ソーシャルメディアのシステムに対して、それに触れ始めた人達のスキル?使い方が自分も含めてまだ追いついていないのかなということです。
いつも仕事でもイノベーションイノベーションといろいろ身の回りで考えられているのですが、イノベーションというのは、人の期待に対して、機能が足りないところから始まると思っています。
例えば、自動車というのも一つのイノベーションですが、これが発明された頃は馬車よりも性能が悪かった。ですが、このソーシャルメディアというのは、システムが生まれたときから人の期待を飛び越しているように感じます。だから、このシステムをつかいこなす為には、人が成長しなければならない。
人の成長、学びによって、ソーシャルメディアがどのように使われるようになるのかというのは、一つの可能性としてあるのだろうと思います。
二つ目は、ソーシャルメディアの可能性を考えるときに、既存のシステムがなくなってしまうというように極端に人は考えてしまいがちになるということです。
これも人の問題なのですが、例えば、電子書籍が増えてくると、既存の本がなくなるとか、出版社ってなくなってしまうのではないかとか。
また、話下手な日本人にとっては、ソーシャルメディアがあれば、コミュニケーションの問題が解決するんじゃないかとか。個人的には、本って書いてある情報が分かればいいだけでなく、ページをめくる感触とか、紙の質感とか、机の上に並んでいる姿とか電子書籍には無いよさが沢山あります。
コミュニケーションだって、リアルにあって話をすることにも沢山の良さがあります。本当にその人を知ろうと思ったら、やっぱり会いますよね。
どちらか一方に極端に考えるのではなく、特徴を知った上でリアルとバーチャルの間を使いこなせるようになるのもやっぱり人の成長次第なのかもしれません。
最後に、価値について。
今までであれば、本はこれくらいの価格帯が通常とか、映画をみるとこれくらいかかるとか、内容には関わり無くある種の相場というものがあったとおもいます。
それは、例えばその本を出版するに当たって、内容を作ること以外に多くの経費がかかっており、その経費+儲け代によっておおよその価格が決まってしまうからだと思います。それが、そのコンテンツ本来の価値に対する値段付けということに変わっていくのかもしれません。
だれが作ったのではなく、どれだけそれが欲しいのかによってコンテンツの価格が決まる。こともあるかもしれませんね。だからコンテンツをいかに価値のあるものにしていくかといったところに、これからの出版業界の存在価値があるのかもしれないなーと思ったりして。
こんなことを偉そうに言っていても、まだまだフェースブックも使いこなせていないので、まずは、もうすこし自分自身のソーシャルメディアリテラシーを向上させないとだめですね。
2011年1月19日水曜日
阿佐ヶ谷インプロ定期公演会1月
今年最初の阿佐ヶ谷インプロ定期公演会を見に行ってきました。
今回でたしか4回目になります。
今回こそはオープニングに間に合うと思っていたのですが、出る直前に少しつかまってしまって、電車のタイミングも悪く、結局オープニングには間に合いませんでした。
初めて見に行ったときも面白かったのですが、だんだん回を重ねるうちに、演技としての間を取っているのと、共演者同士で舞台に出るタイミングを計っている間がなんとなくわかってくるようになりました。
今回は、実は後半にあたらしい取り組みをするというので、出演者の皆さんはその新しい取り組みが気になっていたようで、それがちょっとだけ前半伝わってきました。
あたらしい取り組みというのは、これまでのインプロは短い時間で演じるというのが主でしたので、ちょっとお話しが発展しなくても、照明を落としておしまいというのが出来たのですが、それがやりにくいロングバージョンのインプロです。30分以上、同じテーマで演じ続けます。もちろんいくつかのシーンがあるので、ずっと同じ人が演じているわけではありませんが、見ていて、次はどうなるのかというのが膨らむので、とても面白かったです。
終わった後に解説してもらったのですが、お芝居なので当然、複線を張って、最後にそれが何であったのかが分かるということが必要なのですが、通常、シナリオのあるお芝居だと、複線は後から考えて、お芝居の前段階に持ってきます。ですが、インプロの場合はこれが出来ません。先に演じてしまったものを、後から複線だと思ってもらえるように演技するということが必要になります。演じているほうは大変なプレッシャーになっているのだと思いますが、見ているほうはとても面白いです。皆さんは回収と言っていましたが、回収できないようなことをやってしまうと、みんなに迷惑がかかるということで、出演者のみなさんは大変だったと思います。
もう一つの取り組みは、放課後です。インプロの学校なので、公演が終わった後、お酒を飲みながら、なんとなく出演者がやりたいことをやるというものでした。今回は高尾先生と即興音楽のケビンの2人だけでやっていました。
見ているお客さんを舞台に呼んで、ちょっと手伝ってもらいながら即興で物語を作っていったりして、本当に放課後の雰囲気が流れていました。他の出演者の皆さんも、客�席にまわって楽しんでいたようです。
今回のお客さんは、なかなか舞台に出ようとする人がいなかったので、私も久しぶりにちょっとだけお手伝いして舞台側からの眺めを楽しみました。
高尾先生が隣にいるので安心なのですが、舞台側はやっぱり慣れないですね。
しばらくはこのスタイルで続けるということでしたので、次回も楽しみです。
今回でたしか4回目になります。
今回こそはオープニングに間に合うと思っていたのですが、出る直前に少しつかまってしまって、電車のタイミングも悪く、結局オープニングには間に合いませんでした。
初めて見に行ったときも面白かったのですが、だんだん回を重ねるうちに、演技としての間を取っているのと、共演者同士で舞台に出るタイミングを計っている間がなんとなくわかってくるようになりました。
今回は、実は後半にあたらしい取り組みをするというので、出演者の皆さんはその新しい取り組みが気になっていたようで、それがちょっとだけ前半伝わってきました。
あたらしい取り組みというのは、これまでのインプロは短い時間で演じるというのが主でしたので、ちょっとお話しが発展しなくても、照明を落としておしまいというのが出来たのですが、それがやりにくいロングバージョンのインプロです。30分以上、同じテーマで演じ続けます。もちろんいくつかのシーンがあるので、ずっと同じ人が演じているわけではありませんが、見ていて、次はどうなるのかというのが膨らむので、とても面白かったです。
終わった後に解説してもらったのですが、お芝居なので当然、複線を張って、最後にそれが何であったのかが分かるということが必要なのですが、通常、シナリオのあるお芝居だと、複線は後から考えて、お芝居の前段階に持ってきます。ですが、インプロの場合はこれが出来ません。先に演じてしまったものを、後から複線だと思ってもらえるように演技するということが必要になります。演じているほうは大変なプレッシャーになっているのだと思いますが、見ているほうはとても面白いです。皆さんは回収と言っていましたが、回収できないようなことをやってしまうと、みんなに迷惑がかかるということで、出演者のみなさんは大変だったと思います。
もう一つの取り組みは、放課後です。インプロの学校なので、公演が終わった後、お酒を飲みながら、なんとなく出演者がやりたいことをやるというものでした。今回は高尾先生と即興音楽のケビンの2人だけでやっていました。
見ているお客さんを舞台に呼んで、ちょっと手伝ってもらいながら即興で物語を作っていったりして、本当に放課後の雰囲気が流れていました。他の出演者の皆さんも、客�席にまわって楽しんでいたようです。
今回のお客さんは、なかなか舞台に出ようとする人がいなかったので、私も久しぶりにちょっとだけお手伝いして舞台側からの眺めを楽しみました。
高尾先生が隣にいるので安心なのですが、舞台側はやっぱり慣れないですね。
しばらくはこのスタイルで続けるということでしたので、次回も楽しみです。
2011年1月11日火曜日
仕事と学び、2010リフレクション&2011の抱負
もう、2011年になってからずいぶん経ってしまいましたが、ここで昨年の振り返りと今年の抱負について残しておこうと思います。
まずは、2010年の学びについて。これはなにより、ラーニングイノベーション論の存在があまりにも大きい1年でした。そう感じる理由は大きく3つあります。
一つ目は、その密度です。それまでの人生の中で最も学んだと思ったのが、2006年に受けた社内の選抜教育でした。年間を通して30日間も時間を割いて学ぶ物だったのに対し、それ以上に学んだ感を約4時間×12回というとっても短い時間で得られたという事でした。
二つ目は、本格的な外での学びだったということ。これまでも外部のセミナーなどには単発で行っていたりしたのですが、単発での学びでは得られない系統立てた知識や、外でしかえる事のできない内容など、外での学びというもの自体のイメージを変えてしまった存在でした。
最後は、学びの仲間です。ラーニングイノベーション論はプログラムが終わってからも番外編として自主的な学びが続いているのですが、続ける事ができる仲間に出会えた事がなによりの宝だと思っています。
2010年の仕事については、人材育成を担当する事になって2年目に突入し、いろいろな事が分かってきた上で、それらを変えていくというフェーズでした。ちょうど、ラーニングイノベーション論で学んだ事がすぐに活かせるということもあり、ずいぶんいろいろな要素を入れたと思っています。そういう点では、学びと実践のバランスが良かった1年でもありました。
理論を経験に活かす事でまたそこから学ぶという良いサイクルがまわっていたので、学んだ感が大きかったのかもしれません。
さて、2011年の抱負ですが、まずは学びの目標から。
これはずばり、2010年の学びを超える!
ある意味で、とっても高いハードルが自分の中にできてしまったようなものだと思っています。しかも、新たなラーニングイノベーション論的存在に巡り会うというような偶然は期待できません。どうすれば超えられるのかは全く検討もつきませんが、2011年が終わる頃には、2010年の学びを超えたと実感したいと思います。
次に仕事ですが、おそらく今年の3月でまた異動する事になると思います。異動する前には、今のところは2年と言われていました。これまでの私の立場の人たちも、2年で交代しているので、ほぼ間違いないと思います。異動先は不明。どのような仕事になるかはわかりませんが、例え人材育成担当という肩書きから離れることになったとしても、育成はどこでも必要なので続けていきます。もちろん、希望は異動先も人材育成担当ですがどうなることやら。
ということで、仕事の目標は、ストレッチした経験ですね。異動したら自動的に付いてきそうですが、自らストレッチしていきたいと思います。
2011年も2010年以上に充実した一年でありますように!
2011年1月10日月曜日
武者修行
たしか、アサヒビールの人材育成施策の中にもあったと思いますが、他社に何年か出て、それこそ武者修行をして帰ってくるという人材育成方法があります。
経験学習理論から言うと、ストレッチされた経験というものを得るための一つの方法です。もちろん、どれだけ本人にとってストレッチになっているかというのは、本人の現状と行き先の業務内容によるのですが。
バンダイナムコのように、社内のローテーションがしっかりと確立されているやりかたも一つの武者修行と言えるかもしれませんが、社内ローテーションは、部を超えたローテーションであったとしても仕事内容があまり変わらないことも多くあるので、形骸化しやすく専門性も重要な職種では根無し草になりやすいという懸念点があると思います。
ピンポイントで行き先とそのストレッチレベルを人事が確認するやり方は、効率は悪いですが研修効果は保たれるのかもしれません。欠点は、行き先に対して、応募者が多数の場合、涙を飲む人が多い事ですね。このあたりの影響がどれくらいあるかは何らかの形で検証して、より良いやり方に変えていく必要があるかもしれません。
武者修行に応募した人たちと面談をしていて、そんな事をなんとなく考えていました。
それにしても、こういったことに応募してくる人たちのほとんどは、まず優秀です。職場のエース級だと言ってもいいです。自分を高め続けている人たちだからこそ、こういったことにも挑戦しつづけるのだろうなと思います。
数年経ったら、元の職場に戻って活躍する訳ですから、上司の人たちも喜んで送り出してくれればいいのですが、なかなかエース級を数年手放すというのは、短期的な自部署の状況を見ると決断しづらいとも思います。
本人はやる気十分なのに、職場でブレーキがかからないようにしたいものです。
個人的には、こういったキャリア系の面談はとても楽しいので、GCDFやCDA
などで勉強して、もっと基礎力をつけたいなと思います。但し、今年の3月いっぱいで、そろそろまた異動するかもしれないので、その状況次第ですね。
2011年1月8日土曜日
ラーニングピクニック番外編@日本銀行
正月休みが長く、ほとんどアンプラグド、引きこもりの生活をしていたのでブログの更新もしていませんでしたが、社会復帰のリハビリ第1日目として、日本銀行の見学に行ってきました。
半蔵門線三越前駅を降りるとすぐに日本銀行と奥の方に三越が見えます。どちらも昔ながらの立派な建物で、ちょっと明治時代?にもどったような不思議な空間が広がっています。
さすがに、日本銀行、警備の人が目立ったところに立っています。寒空の中ご苦労様です。
西門から見学の待合室に案内されて、そこでしばらく待っていると、続々と見学の人たちが集まってきました。もちろんラーニングイノベーション論のメンバーもいっしょです。
初めに、40分程度のDVD視聴があります。日銀の主要な仕事の紹介ビデオです。かなり分かり易く作られていますが、分かり易いので、その先がどんどん知りたくなってしまいます。
その後に、グループに分かれて今は使用されていない旧館の見学に行きます。今は使っていない旧館の金庫や、歴代日銀総裁の肖像画がかけられている廊下などを見学して回ります。金庫はさながらルパン三世の気分になりますね。
見学で興味を引いたのは、個人的には歴史的な建造物そのものと、歴代総裁の肖像画です。とってもすばらしい歴史を肌で感じる空間で、これを見るだけでもきてよかったと思えます。肖像画は残念ながら時代にあわないということで、もう書かれていないそうですが、とても残念に思いました。確かに、時代に合わないので変えていかなければならない物もあると思いますが。歴史として残していかなければならないものもあると思います。あくまで個人的な趣味では、肖像画は残してもらいたかったものの中に入るので、途中でやめてしまったと聞いて、とても残念でした。
その後、別の場所でラーニングイノベーション論の皆さんとリフレクションをして、新年会に突入だったのですが、日銀の見学とリフレクションを通して思ったのは、今まで、日銀という仕組みを全然知らなかったなーということです。思い込みの部分もたくさんありました。日銀のバランスシートのプラス側は国債買い入れ(それだけではありませんが)、国にとっては借金、でもそれらの日銀の利益は結局国の収入として入る、これってつまり・・・。これを機に、もっと金融のことについて勉強してみようと思います。
それから、新年会で私とr_chao_tさんのサプライズバースデーイベントをみなさんで開いてもらいました。中原先生のときは企画側だったのですが、今回は完全に油断していました。というか、自分の誕生日ってほとんど覚えてないですからね。なにより、ラーニングイノベーターの皆さんにお祝いしてもらえて、本当に嬉しかったです。
一年の最高の幕開けになりました。ラーニングイノベーターの皆さん、本当にありがとうございました。
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