昨日、中原先生執筆の職場学習論が近所の書店に出ていないか探しにいったのですが、あまりにも小さな書店であったのと、職場学習論が専門書であることだと思うんですが、並んでいなかったです。残念。
まあ、会社で8冊頼んだので、来週にはくると思いますが。
最近は、欲しい本は新しい本も絶版になった本もネットで探しているので、せっかく書店にきたので、久しぶりに中をうろついてみました。
もしドラが流行っていることもあって、ドラッカーコーナーが出来ていたのと、ハウツーものが相変わらず並んでいます。
その中で目に留まったのが、記憶術の本。昔から自分は記憶力が弱い。人の名前も覚えられないし、読んだ本もすぐに内容を忘れてしまう。記憶力のよい人は、別世界の人のように尊敬してしまう。例えば、神戸大学の金井先生のように。
どうやったらあのように知識の泉になれるのか。ちょっと前にナカタさんから借りた、池谷先生の海馬という本には、鍛えれば海馬が大きくなって、記憶力が増えるということが書かれてあった。
どうやって増やせばいいのよ~と、記憶術の本を読むと、そこには、語ることと書いてありました。(他にもいろいろかいてありましたが、、、)
なるほど、外化かと。確かに、これまでは内化しかしてきていなかったなと。
ラーニングイノベーション論の冒頭で中原先生が言っていた、18世紀の一斉授業には語ることがついてきたなあと。
隣の人にギヤだよギヤだよと教えることで、記憶していったのではないかと。
そう、教えること、語ることが記憶にはいいのだ。
でも、一斉授業から語ることがなくなったのはいつ頃のことなのだろうか?と。
スピーカーとマイクでそれこそ一斉に声が届くようになってからだと思いますが、それによって、記憶に対して重要な行為であった語ることがなくなってしまったのでしょうか。
導管型の一斉講義の内容を半年たって覚えている人が2%、なんとなく覚えている人が30%、それ以外の人は一切覚えていないというのは、覚えていないのも問題ですが、なんとなく覚えている人というのは、もっとタチが悪いというい気がします。
何故かというと、そういう人に同じ話をすると、そんなことは知っていると言って、まともに聞こうとしない。でも、そういう人は語れるほど記憶していない。ということは、行動の変容もしていないということ。
行動を変えて欲しいと思っている側からすると、もっとも作りたくない人種かもしれない。
そういう人をこれまで研修でたくさん生み出してきているのかと思うと、やることはたくさんあるなと思ってしまいます。
まあ、ラーニングイノベーション論の最終課題にもつながっていることなので、継続してやり続ける他はないのですが、先は長いなぁ。
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