2011年2月15日火曜日

らーにんぐばー えっくす



いつものラーニングバーではなく、アカデミックな研究会の場であるラーニングバー-Xに初めて参加してきました。


今回のテーマはワークプレイスラーニングの政治哲学、管理職研修へのコーチング導入・実践プロセスということで、Workplace Learningの研究の中では、多く行われている定性的な調査をもとにした研究の視点から、成果主義導入以降に多くの企業で取り入れられてきたコーチングについての内容でした。


90年代以降の経済的な問題、社会的な流れの文脈の中での企業における成果主義の導入と、その後の成果主義の弊害、それに対処するための管理職へのコーチング導入と続く訳ですが、ここでふと疑問がおこります。


なぜコーチングだったのか?本当にコーチングで良かったのか?


この研究会の場では、それが良かったのか悪かったのかではなく、アカデミックな視点でということだったのですが、どうしても頭から離れません。

もし、成果主義導入の弊害に本当に対処するためだったのであれば、成果主義を見直せば良いし、コーチング以外の道も沢山あったはず。どうして多くの企業でコーチングという道を選んだのか?


日本の特色なのか、極端から極端に走りすぎるという特徴があるような気がします。白黒は嫌いといいながら、知見者が、「バブル崩壊の時代を乗り切るためには、これからの時代は成果主義だー」といえば、一斉に成果主義に走り、業績が回復しないのは部下のやる気がなくなったからで、それは成果主義の導入の弊害だ、だからやる気を出させて成果を出すためにはコーチングだーと。


いまから考えてみると、一部の知見者と呼ばれている人たちに踊らされてみんな動いているような気がしてなりません。そこにも知見者の生産と、問題解決をするという企業側の消費の関係がありそうです。


そういうことが本当にあったとしても、では元に戻せるのかというと、もとに戻すのは大変なあだと思います。特にそうやって進んでくると、本当かどうか分からない言説があたかも本当のこととしてとらえられているからです。


その考え方を変えるということのほうが困難なのと、元に戻すということを実務家は目的としていないので、問題がない状態にするにはどうすればよいかという最短の方法を考えるわけです。


それが例え、本家のコーチングの理論から外れていたとしても、目的に近づけばそれでいいわけです。コーチングを生産するほうも、どんな形であれ提供できれば良いので、どこを変えれば提供できるか考えます。そしてだんだんコーチングというラベルだけが変わって、日本型コーチングが出来上がります。


発表では、生産者と消費者の駆け引き、政治力学と言われていましたが、消費者からすれば、そんなことは承知の上です。目的にかなっていればよいので、変化は邪道ではなく進化と見えたりします。


話の中で指摘されていた、「効果が本当に図れているのか?」「役立ったという言説と効果の違い」については、まだまだ消費者側がだまされているような気がします。研修直後のアンケートで「満足しましたか?」という指標で研修効果を図った気になっているところがまだまだ多いと思います。


研修ベンダーが作成してくるアンケートは、必ず「満足しましたか?」という項目がトップにきています。生産者からすると、消費者が満足したかがトッププライオリティになるのも分かる気がしますが、そもそも受講生を満足させるために研修をやっている訳ではないので、消費者はもっと賢くならないといけないなあと。


ここ2年ちかく研修ベンダーの会社とおつきあいしてきましたが、ほとんどの会社からは「できます」という話は聞きますが、「出来ません」と聞かないですね。それぞれの会社で強みとしているところはあるはずなのですが、製品で言えば、カメラ屋も車屋も不動産屋もみんなパソコンを取り扱ってますよと言っているようなものです。それはできませんと言ってもらった方がその会社への信頼があがるのにと思いながら、一つでも契約を取れという政治力学がそこでも働いているのでしょうね。



とりとめのない話になってしまいましたが、いつも判断するしないの組織で育ってきた私にとっては、事実だけを見るというのがやはり難しいようです。


ってやっぱり最後まで判断してます。

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