2010年12月25日土曜日

買い物と対話のプロセス



これを買おうと決めてから、お店に行く場合は違うのですが、なんとなく欲しいと思っていたものをどれにするか決めるプロセスが面白かったので、記録しておきます。


テレビボードが欲しくて、大塚家具に出かけました。条件は、幅の長さが145cm以下というただそれだけ。リビングのコーナーに置くには、それ以上だと窓側にはみだしてしまうことで、この条件だけ頭に入れてお店に行きました。


大塚家具は案内の人が付いてくれるので、案内人に連れられて店内を回っていると、条件が少ないはずだったのに、これがなかなか決められません。


テレビボードの幅の長さは、150cmというのがあるのですが、それ以下だと、一気に120cmになってしまいます。そうすると、150cmのときにはいい感じであった収納スペースが極端に小さくなります。


買いにいくときには、収納スペースのことなど、まったく条件の中にはいっていなかったはずなのですが、現物を見てみると、どうもいろいろな条件が出てきます。


収納スペースの他には、色はダークブラウンがいいとか、取手は出っ張っていないほうがいいとか、ビデオデッキ収納のガラス部分はそんなにいらないとか・・・。


結局、数々の出てきた条件にあうものは、幅が100cmのものだったので、それを注文して帰ってきました。



ふとこれって、対話の外化のプロセスに非常に似ているかもしれないなと思います。


買い物の場合は、対話の相手が物になるわけですが、暗黙知としての要望があったのが、いろいろな物をみる事を通して、条件という言葉になっていく。対話は、他者との言葉のやりとりを通して、即興的に暗黙知が形式知化していく。



一人で考えていると、このような結論にならなかったなと思う対話はたくさんあります。自分では気づかなかった社会的な条件や制約などは、家具の規格に似ています。対話はときには得られる物が少ないと感じるときもありますが、それは自分の中の暗黙知の量がへってきているのかもしれないなと思ったりしています。


単なる買い物だったのですが、なかなか面白い体験でした。

2010年12月24日金曜日

リーダーを生み出す場のデザイン



リーダーシップの研究は、世の中に本当に沢山あって、そういう人たちからすると、何にも知らないくせにわかった風な事を言うんじゃねぇと言われそうですが、そういう意見は甘んじて受ける・・ではなく受け流すとして(笑)、個人的に勝手に今の時点で思っている事を書きます。おそらく未来の自分からも厳しいつっこみがきそうですが・・・。


最近言われているようなサーバントリーダーシップも含まれると思いますが、リーダーに共通する点というのは、自らの描く未来を信じて一歩を踏み出す事。また、それを支援してくれる人たちがいることなのかなと思います。


では、世の中のそういったリーダー達は、初めからリーダーだったのでしょうか?そんなことないですよね。


初めは小さな一歩だったかもしれませんが、そういった経験をすこしづつ積み重ねていく事、その経験の中で、成功や失敗を繰り返し、だんだんと誰もが認めるリーダーに成長していくのだと思います。



そういったプロセスを生み出すものが世の中にあります。


オープンスペーステクノロジー、OSTと呼ばれているものです。



ワールドカフェなどと同じポジティブアプローチの一つに分類されるものですが、私はこのOSTと出会ってから、かれこれ4年になります。


OSTの詳しい解説は、本になっているので
ここでは省きますが、なによりもすごいのが、リーダーとして踏み出す小さな一歩をリアルに体験できるところだと思います。



今年6月に、人事部門の組織活性化でこのOSTを使ったときも、集まった50名が輪になって座り、自分がどうしてもみんなと話したい事、検討したい事を輪の中央まで歩いていって宣言をします。テーマが出尽くすまで待つのですが、初めはかなりの沈黙と緊張感があります。


その沈黙を打ち破るかのように、えいっとばかりに勢いをつけて立ち上がり、宣言をしにいく人もいます。この葛藤と、それでも自分が率先して一歩出るというのがリーダーとして育つ経験には必要なことなのだと思います。


結局、そのときは合計で6つのテーマが出て、それぞれの興味のあるテーマのところで話し合い、なにをするかを決めます。その後、テーマを出した人がリーダーとなり、話し合いに参加した人たちと共に活動をしています。


最近、いろいろなところでワールドカフェはやられていますが、OSTはもっとパワフルな構造をしているなと改めて考え直しています。これまでOSTとは、ありたい姿に向かってロードマップを作るためのプロセスとしか認識していませんでしたが、実際にリーダーが育ってきている現状を見て、考えが浅かったなと思っています。



一歩を踏み出すという事は、誰にでも出来る事ではないかもしれませんが、だんだん一歩を踏み出す事ができるようになるOSTには、これからの未来が隠されているのかもしれません。

2010年12月23日木曜日

インプロ定期公演報告 2010年12月

どみんごこと高尾先生が率いる演劇学校の阿佐ヶ谷定期公演会に、今月もラーニングイノベーションの学友達と行ってきました。今回で3回目になります。


前回遅刻したので、今回は、開演に間に合うように行く予定だったのですが、結局15分遅れでした。
阿佐ヶ谷に行く前に、ラーニングイノベーション論で一緒だった学友の会社へ情報交換ということでお邪魔していたのですが、ついつい時間も忘れ、話に夢中になってしまったのでした。


急いで我無双の階段を登るとすでに会場はいっぱいで、なぜか後ろのほうに出演メンバーが何人かいました。あれっと思いつつ、一番前の席が空いていたのでそこに座ると、なんだかいつもと感じが少し違います。


まずは、出演メンバーがいつもより沢山いました。しかも、それぞれのメンバーが固定の4グループになっていて、2グループづつで予選会なるものをやっていました。即興で演じたものを観客が1~5点をつけます。せーので点数を言って、多かった点数がそのメンバーの点数になります。何回か即興で演じて、合計点数の高いほうが予選通過です。


前回からの私のお気に入りの人は、予選で敗退してしまいました。今日は実力発揮できず?なのかもしれません。うーん残念!


あと前回との違いは、前回は大阪で予定があって出られなかった即興の音楽奏者が復活していたことです。やっぱり、即興音楽の力はすごいなと感服です。

予選を勝ち抜いたグループが、後半でがちんこ即興対決をします。途中でシリアスという難しいテーマも含みつつ、最後はロックの格好をしたグループが優勝で終わりました。


今回は、初めての取り組みということで、勝ち抜き戦方式になっていましたが、いろいろ変えていく、自ら変化していくというのはすごいなと思います。定番のよさというのもありますが、いろいろ新しいことを試してみるということ、実践していくというのは、成功と失敗のぎりぎりのところを歩いているようなものなので、舞台と通じるところがあるなと思います。


舞台が終了したあと、お気に入りの人との写真を撮ってもらいました。ブログには掲載しませんが宝物です。これだけで、今日来た甲斐があったなと。


終了後は、学友といつもの黒おでんリフレクションです。飲んでいる途中で、出演メンバーの皆さんの何人かが合流して下さいました。舞台に立っていなければわからないような、頼る頼られる関係とか、競争と言うメタファーで、面白いことをしなきゃいけないという気負いが出るとか、シリアスのテーマを入れたのは、甘いケーキの中のポテトチップスのようなものだったとかいろいろ話を聞きました。


特に印象に残ったのは、一つ一つの演技とか競争に集中しすぎると、公演会全体としてのメタ視点を忘れがちになるというところです。学習も、失敗から学ぶということは経験上大きいし、そういうことは分かっているのだけれども、普段は失敗しないように慎重すぎるくらい石橋をたたいている人がいます。もちろん、成功も何故成功したかをリフレクションすることで学びになるのですが、いつでもメタ視点は忘れてはいけないと改めてそう思いました。

2010年12月20日月曜日

原理主義

何かを信じるということはすばらしいことだとおもいますが、それが行き過ぎると原理主義者を作ってしまいます。


私の好きなエリヤフ・ゴールドラット博士のTOC制約条件の理論にも、こういった原理主義者がいます。


昨年、TOCカンファレンスが日本で開かれたので参加した時に、TOCの普及に尽力している中心人物で、TOCカンファレンスの主催者の人が、TOCの普及の初期にこういった原理主義者をたくさん生み出してしまったという反省の弁を述べていました。


最近、U理論の本が出て、色々なところで話題になっているのを目にします。理論の内容が魅力的であるが故に、U理論の原理主義者が多数生まれてしまうのではないかと心配しています。


私が心配したところでどうしようも無いのですが、思いが強いとどうしても視野狭窄になってしまいます。



ラーニングイノベーション論の中で、長岡先生が、「対話がいいものだと考えるのはやめよう」という投げかけは、まさにそう言ったことに対する注意喚起だったように思えます。



対話の多面性をしっかりと理解することと、現実の経験を見ること。フォーマルセオリーとフォークセオリーを併せ持つこと。


こうやって考えてみると、本当にラーニングイノベーション論では、いろんなことを学んだなと思います。今年中に、しっかり振り返りをして、1冊のノートにまとめたいと思います。


自分にとっての今年最後の仕事になりそうですね。

2010年12月19日日曜日

内発的動機と外発的動機のバランス




子供が通信教育でとっている赤ペン先生、ベ◯ッセの付録に、3年生準備DVDというのが付いてきました。子供と一緒にみていると、結構いろいろ考えさせられる内容で、面白かったです。


基本的には、3年生コースの売り込みのDVDに見えるのですが、中でも着目したのは、外発的動機と内発的動機のバランスについてです。


あまりよく覚えていないのですが、昔のこういった通信教育でよくありがちなのが、外発的動機から勉強という行動をおこさせるものです。例えば、1ページでき上がったら、シールを貼ってもらうとか、1ヶ月のテストを送ると、テストの結果といっしょに、景品がついてくるとか。そういったことは昔からやられていたと思います。


その欠点は、外発的動機を起こさせようとしているものにたいして、子供が興味を持たなければ勉強をするという行動の変容に結びつかないことと、そういったものがなければ、勉強する気にならなくなってしまうということでしょう。


準備DVDで面白かったのは、ストーリーを使って、内発的動機づけをしようとしているところです。


DVDの内容は、今後、3年生のときに付いてくる付録を使って、勉強する事で、学校生活が楽しくなるというリアルなものと、付録の機械の中という想定で、ロールプレイングゲームの主人公になって、計算が少しずつできるようになることで、悪者を退治していくというものです。このゲームは3年生を通してだんだん話が進んでいって、3年生の最後にはボスキャラを倒しにいくことになるのでしょう。


単なる成功体験を聞くというより、これから成功していくであろう体験を自分の成長との同時進行のタイミングで話を進めていく事で、勉強の継続を狙っている感じです。


子供にDVDをみた後の感想を聞くと、「ふつうー」と言っていましたが、このストーリーによる内発的動機付け戦略がどれくらい有効なのか、しばらく観察してみようと思います。

2010年12月18日土曜日

「学び」カフェ

社内で、ラーニングカフェという対話の場、サードプレイスを作っています。作り始めたのは1年ちょっと前。今まで5回開いてきましたが、今回は番外編ということで、他の会社でワールドカフェを使った対話の場を開いている人たちとの共同企画です。


なんで共同開催になったのかはよくわかっていません。いつもラーニングカフェをいっしょにやっているメンバーの一人が、話をもってきました。実行のコアメンバーは、アンダーグラウンドのネットワーク組織のようになっているので、どこでなにが行われているか、正確には把握できない状態になっています。


場所は東大農学部の弥生キャンパスにある、弥生講堂というところです。福武ホールもそうですが、東大の施設はとってもすてきな場所が多いですね。
こんな感じです。



会社の立場でやっているのではないので、それぞれの会社名は出さない方がいいでしょうということで、WCJ(ワールドカフェ・コミュニティー・ジャパン)のワールドカフェということにしました。


募集は定員60名のところ、あっという間に70名を超えて、急遽募集を打ち切ることになりました。学びというテーマと東大という場所が良かったのかもしれません。


いつも、社内でラーニングカフェをやるときは、ストーリーテラーにテーマについてのストーリーを語ってもらい、その後にワールドカフェで対話を行うというやりかたをとっていました。今回は、他社でやっているやり方に従って、ワールドカフェのみ、一回ごとにテーマを変えての4セッションでした。

それぞれの話し合いのテーマは、
  子供の頃の学びは?
  大人になってからの学びは?
  なぜ私たちは学ぶのか?学ぶ必要があるのか?
  未来の学びの場を創造してみてください


最後の共有では、非日常とか、リアルな他者との関わり、楽しいというようないろいろなキーワードが出てきました。ツイッターでも多くの人たちがつぶやいていました。ちなみにハッシュタグは#wcj_xmasです。


終わってから、20名以上の人たちが、打ち上げにも参加して、初対面の人もいると思うのですが、とっても盛り上がっていました。こういう場もいいものですね。


さて、終わってからいつもは反省会をやるのですが、今回はそんな感じではなかったので、一人反省会というか、いくつか残った未来に向けての疑問、違和感を残しておきます。


ワールドカフェというのは、そもそも何なのか?またわからなくなりました。これまでの理解は、「短時間で多数の人と全体観を見いだして共有する手法」でした。U理論で言えば、seeing。でも、今回はあきらかに違っていました。違う使い方をしているのかもしれませんし、日本人独特の進化した使い方なのかもしれません。


学びというのが、行動の変化ということなのだとすると、ワールドカフェはやっぱり物足りなさを感じてしまいます。各個人やグループのコミットメントを引き出すところまではなかなかいかないという構造をしています。行動が代わるかはその場にいた人次第なので、何とも言えませんし、答えもないと思いますが、他の手法と組み合わせて使うのかなとも思います。



今回は、完全裏方だったので、次回は一参加者として中に入ろうと思います。



学びの意図を隠すとき




中原先生の「リーダーシップ発達の2つの考え方」というブログ
を読んでいて、ふと、自分はどうだったかと考えるところがありました。



引用すると、『参加するリーダーの側からみれば、それは気の利いた「戦略の会議」「ビジネスの会議」にしか見えないかもしれません。しかし、それでいいのです。彼らは「学びの言語や意図」「HRの言語や意図」について知っている必要はありません。』
というところです。



自分の場合はどうだっただろうかと考えてみると、特に学びの言語や意図について積極的に知らせない場合と知らせる場合の2つがあることがわかりました。


知らせる場合というのは、あえてそれを言う事で、注意力を広げてもらいたい時です。

例でいうと、ラーニングイノベーション論のインプロのセッションで、インプロの体験をした後に、高尾先生が解説をしてくれていたことです。インプロの意図というのは、なかなかわかりにくいものではあるのですが、経験をした後に意図を開示することで、注意力の幅が広がります、学びというのは、注意力が向いているところで始まると思っているので、いろいろなところに注意力を向けられる意図の開示は必要かなと思います。


知らせない場合もあります。

知らせない場合は、意図について考えてほしいとき、自分で気づく必要があると思ったとき、開示しても押しつけにしかならないとき、です。


意図を気づいてほしいときは、参加者全体で気づくように場だけセットします。場への参加者の多様性が大事になりますが、誰かが気づけば、主催者側からの押しつけではなく、意図を気づいてもらう、注意力を向けるという目的が達成されます。



個人的には、知らせることに対するリスクがある場合を除いては、可能な限り学びの言語や意図というものは知っておいた方が良いと言うのが私の持論のようです。

この持論は、私の経験からきているものであるのは明白なのですが、経験について書き出すと長くなってしまうので、それはまたの機会に。



こうやって考えてみると、意図を知らせる、知らせないというのは学びの効率ということに重点を置いているように思います。我ながら、かなり合目的的ですねぇ。

2010年12月15日水曜日

動きは支配されている

あなたの動きも私の動きも何者かに支配されています。


そんなことを言われて、あまり信じる人はいないと思いますが、慶応MCCで近藤さんのワークショップにでていた時に言われました。


動きは目的に支配されている。


なるほど!


人の動きというのは、何かの目的があって動いています。目的なしに動くことはほとんどありません。


それは、例えば、体操とダンスの違いです。


私の会社でも、始業時にラジオ体操が流れます。体操というのは、カラダにいい動きという認知をされていて、一日のカラダの調子を整えるという目的でみんなラジオ体操をやっています。


でも、朝からダンスをする人はいますか?


いないですよね。


ダンスには目的を見いだしていないので、朝からダンスをする人はいないんです。



それ以外にも移動するために歩く、寒いから服を着る、みんな目的があります。



それって、大人の学びは合目的的であるということと同じかも。


大人は学ぶのに目的が必要。子供は学ぶのに目的は不要。


では、動きについても、子供は目的は必要ではないのかなと。


子供の頃にスキップという動きをしていたと思いますが、あれって目的はないよなぁ。
大人になるとやらなくなります。


やっぱり、学びと動きは同じなのかもしれません。


大人の行動は社会的な認知のされ方による影響を強く受けます。もし、ダンスが社会的に当たり前の世界だったら、みんな朝からダンスしているんだろうな~。


それも動きは支配されていることに変わりがないのですが、そんな世界も面白いかもしれません。



一体、いつごろから動きも学びも目的に支配されるようになるんだろう。

2010年12月13日月曜日

研修会場




今日は一日中、会社の研修施設にいました。選抜教育のアクションラーニングの計画発表の日だからです。


その教育以外にもいくつかの研修が予定されていて、別の部屋で行われていました。


昼休みまでは部屋の中にいたので気づかなかったのですが、昼食を食べ終わって帰ってくると、面白い?ものをみる事が出来ました。


研修施設のちょうど真ん中あたりに長ソファーが置いてあるのですが、そこに等間隔に人が座っていました。ちょうど、隣の人と微妙な距離を置いてです。


他の教室を覗いてみると、机がグループ分けされていたのですが、そのグループ机に一人づつぽつんぽつんと人が座っていました。


みんな、同じ研修を受けているのにも関わらず、隣の人が何を考えているか、そもそも誰なのかに関心がない状態なんです。



その後、選抜教育の教室に戻ると、まだ昼休みの時間がかなり余っているのに、外で休むでもなく、何人か単位で集まって、くっちゃべっていました。半年もいっしょに苦労してくれば当たり前なのですが、関係を高める工夫をしてきた結果でもあります。



どちらが学び合えているかは言うまでもありませんが、同じ会社の研修施設の中で、こうまで差が出来てしまっているというのは、やっぱり問題だよなーと。



研修の数が多く、ほとんどを社内講師に頼っている現状では、こうなってしまうのは当たり前なのですが、やっぱりこのままではいけないよなぁ。


研修屋ではないのだから。

2010年12月12日日曜日

人材育成と個人の学び




このテーマについては、これからしばらくの間、考え続ける事になると思うので、現時点での考えをまとめておこうと思います。


ちなみに、私がブログを書こうと思ったのは、後から自分で読み返してみて、今の考え方との違いを知るため。なので、過去に書いた事についてすでに自分の意見は2転3転しています。コメントにそのことも残していこうと思います。(一人ボケ突っ込みみたいですが・・・)


本題に戻って、企業と個人と政府の3つの視点があったときに、最近の政府の視点というのは弱体化しつつあるように思えます。日本では、総理大臣がコロコロ変わりますし、アメリカでは最近の話題はウィキリークスでしょう。それ以前も、リーマンショックを止められなかったことからも弱体化は明らかだと思います。


それに代わって政治に手を出し始めたのが、企業です。本当はやりたくなかったのかもしれませんが、政府が弱くなった分、社会的責任を企業自身でみる必要性が出てきました。


一方、個人においても、政治家ではないけれども、政治活動を行う個人がでてきました。NGO, NPOにみられるような団体に所属し、活動する人や、ゆるいところ(ゆるいという表現は適切ではないかもしれませんが)では、ワールドカフェにみられる対話の場などのSocial Communityを自ら企画、または参加する人が増えてきています。そういう私も企画している一人ではあるのですが。



企業内における人材育成というのは、もちろん企業戦略を達成するために従業員に特定の能力を付与するための活動と言えると思いますが、これまでは、企業と政治がある程度距離をおいていたので、企業内での学びというのは分野を特定しやすかったと思います。


ところが、企業が政治をやり始める必要が出てきたときに、従来の人材育成の枠は変容しなければならない。一見、無駄だと思える事を教える必要がでてきたということです。では、一見無駄なことを教えられるのでしょうか?



しばらくは、個人に頼るしかないのか、または他に良い方法があるのか、両者が交わるところに解がありそうな気がしますが、まだまだ答えにたどり着くには先が長そうです。

2010年12月11日土曜日

しまった、先に言われた

考えていることを結構先に言われてしまうことが多いですが、今回もまたやられました。


6月から半年間選抜教育の事務局をやってきましたが、講義パートの最終回で、副社長との対話のセッションがありました。そこで、受講生が副社長に質問をぶつけるというよくあることをやっているのですが、その質問の中で、2030年のビジョンは何か考えていますか?ということを質問したチームがありました。


そこでの副社長の回答が、そんな先のことまで考えていない、というもの。


そこまで自分が副社長の座でマネジメントをとっていることはないので、そこまでの責任はとれないし、マネジメントというものは、人によって変わるということです。


マネジメントをする人が変わっても、変わらないと思われるのは、人の力、人材育成の必要性ということでした。組織の力は人の力が集まったものだから、人材育成というのは、いつの時代でもやり続けることになるだろうと言ってました。


そこまではよかったんですが、『もし、社員が会社を離れても、この会社で育った人はすごいと周りの人に言われるようでありたい』と言われた時に、やられたと思いました。



それは、自分が今の組織、会社にいてやろうと思っていたことで、いつかは受講生にも言ってやろうと思っていたことでした。



今から同じことを言っても、副社長の受け売りのように聞こえてしまうので、もう受講生には言いませんが。



企業内における人材育成とは、企業の戦略目的を達成する為に、組織内の人材の能力を伸ばすことが人材育成部門の役割と一般的に言われていますが、では、企業の戦略目的を達成するために必要なことってなんでしょうか?そんなことがわかっていれば、苦労はしません。



というか、そんなことわかりっこない。だったら、いろんな興味のあることを幅広く学んで、自分のことをより深く知って、それでいいじゃない。



何が将来役に立つかなんて、誰にも分からないのだから。

2010年12月10日金曜日

フィールドワーク

流しの先生の授業の影響を目一杯受けて、フィールドワークに興味がでてきました。というか、フィールドワークの観る力を鍛えたいと考えるようになりました。


そう思っていろいろ考えていると、昔、商品企画をやっている人から聞いたある話を思い出しました。


その人は、元々は違う部署で働いていたのですが、入社前からずっとやりたかった商品企画をやるために、異動をしました。オープンエントリー制度というものがあって、希望を出して、受け入れ部署がOKを出せば、元部署のマネージャーの人事権限に関係なく、異動できるというものです。


異動した彼が最初に自分に課したのは、なんでも良く観察することでした。休日には、観察するために必ず外に出かけたそうです。


話の中で、コンビニの事例がありました。コンビニというところは、工夫がいっぱいあります。例えば、一面ガラス張りで、ガラスの面には必ず雑誌コーナーがあります。


何故でしょうか?


どのコンビニも同じ配置をしているということは、そこには必ず理由があります。


コンビニにくるお客様は、お弁当を買いにくるお客様が大半です。目的のものを買って帰るだけであれば、1分もあれば十分です。でも、それではお店の中にお客様が誰もいない時間が増えてしまいます。



誰もいないお店に入りたいと思いますか?



入り口の窓際にある雑誌コーナーは、そこで立ち読みをしてもらうためのものなのです。そうやって、お店の中に人がいることをアピールして、通りかがったお客様がお店の中に入りやすくする客寄せの役目をしています。



たまに、立ち読み禁止という札が貼ってあるコンビニを見かけますが、そういう狙いをよく知らないフランチャイズオーナーなのだなと思ってしまいます。



入り口付近にレジがあり、お弁当コーナーがその奥にあるのも理由があります。



大半の日本人は、買うものが決まるまでは、お店の人から話しかけられることを避けるように行動することが多いです。レジの前を通ることを避けるようにすると、自然とお店の中を一周することになります。動線を長くとることで、お弁当以外のものを買ってもらえる確率が高まります。




こうやって、なぜそうなっているのかを観察のしながら原則を探しているという話を聞いたことを思い出しました。



まさに、フィールドワークの観察の仕方だと。



聞いた話は、商品についてでしたが、人についての観察はもっと面白いと思います。



観察眼を鍛える為に、まずは、明日、来年の手帳を買いに行くついでに、フィールドワークノートを買いに行きます。

2010年12月9日木曜日

昭和の忘年会

高度成長期時代、会社の忘年会は、泊まり込みでそれぞれの小組織単位で出し物を出し合うというのが当たり前でした。本番に向けて、他のグループにネタがばれないようにこっそりと練習するなんてこともありました。


ところが、そんな忘年会の風景もめっきり見られなくなり、ただいつもの呑み屋で飲んで、一本締めして終わりというように変わって行きました。


宿泊を嫌がる若者が増え、出し物で場を盛り上げることができる若手リーダーが減ってしまった、というより、そういうやりかたに興味がなくなった人が増えたといえるかもしれません。


でも、そういった古式懐しい昭和の忘年会のDNAが色濃く残っている組織があります。


その組織は、、、人事。


私が育って来た現場は、もう10年以上前から、そういった全員参加で出し物をやるような忘年会はなくなっていました。


かろうじて、昔の写真が先輩の机の中に残っていて、誰が受け継いでいくか悩むような感じでした。


1年半前に人事に異動してきて驚いたのが、この忘年会スタイルです。


いつもはクールに仕事をしている人達が一変します。そして、その恥ずかしい写真を残しつつ、次の日から普段の仕事にもどっていきます。


よくわからないですが、なんとなくその表裏の両方を知っているということが大事なのかもしれません。いつもとは違う一面を知っていることで、親近感が沸くのかもしれません。秘密を共有するといった一種独特の感覚です。



いろいろ難しいことも考えるのですが、人はそれでいいのかもしれませんね。

2010年12月8日水曜日

流しの先生

流しの演歌歌手という人達がいます。場所は不定、宿場町の呑み屋を転々として、その場のお客様のリクエストに答えて、演歌を歌います。あゆとおとうさんのCMのアレです。


それから発想して、長岡先生が流しの先生をやってます。


流しの先生とは、場所も毎回違っていて講義の内容もその場で生徒からもらいます。生徒も毎回変わります。


テーマは大人の学び論。今回が二回目です。墨東大学という墨東エリア全体をキャンパスに見たてたところあたりで講義が行われます。


前回は喫茶店だったようですが、今回はキラキラ橘商店街の一画でした。


街ゆく人達から見られて微妙な感じがなんとも怪しくて良かったです。


講義の内容はフィールドワークについて。受講生7人のうち、4人がフィールドワークをしている大学生だったので。



初めは概念と事象について。発見とは、概念に基づいて事象を見つける事ではない。それは単なる検証。発見とは、事象から概念を見つけること。


科学者のアプローチと同じだと感じました。帰納法の考え方ですね。だからこそ、真実は現場で見つかるのではなく、机の前で見つかるということです。


普通上のフィールドワークでは、事実という過去から現在の事象を扱いますが、未来の事象から概念を見いだすことも行われているようです。



もう一つは、フィールドワーカーの学びについてでした。観察の対象者、フィールドワーカー、読者の3者の関係において、フィールドワーカーやエスノグラファーは対象者を観察することで、学習して行くということです。対象者の中に入り込んで、自らを変容させることにより、観察が行われます。


自らが変容するのでそこには学びがあります。自らが変容しないと、対象者からいろいろなことを観察できないのです。



また、そこで観察されたことを読者に翻訳します。


読者に翻訳する過程でも、自らを変容させることの必要があるので、フィールドワーカーには学びがおこります。



ここでふとある疑問が頭の中におこりました。元々、対象者を読者が知るということを目的にしていたと思うのですが、翻訳した瞬間に、それは本当に知ったことになるのでしょうか?読者が変容することが真実を知るということには必要な気がします。



でも、フィールドワーカーが学習したという事実でいいじゃないかという考え方もあるというのを聞きました。
う〜ん、そう来たかという感じです。それをフィールドワークと位置付けるというのはとてもアリだと思いました。



8時には商店街のお店が閉まってきて、暗くなってきたので授業はおしまい。



帰りに商店街の入り口近くにある雰囲気のある居酒屋で先生と姫と3人で軽く飲んで帰りました。


芋焼酎お湯割おいしかった。しかも2千円弱。安い!

2010年12月7日火曜日

組織科学とHRM報告

組織学会のシンポジウムにいってきました。理由は、そこでのパネリストに神戸大学の金井先生と一橋大学の守島先生がいたから。


さらに、京都大学の若林先生、青学の竹内先生と豪華メンバーが揃って、2時間で参加費2千円というあり得ないような贅沢な会でした。


この会の目的は、組織科学とHRMの研究者は、これまでほとんど対話というか、共同研究というものをしてこなかったのですが、どちらも組織と人を扱っていてとても近い分野でもあります。それらの分野が会う所に宝がねむっているのではないかということで、宝探しが目的です。


守島先生の進行で、それぞれの先生のお話がありました。


守島先生からは、HRMという分野は極めて実務的で、データや事実の分析は多くあるが、なぜそうなのかというところの関心が薄かったということで、組織科学との接点としての会の趣旨が話されました。
この会で考える接点は3つ。


①組織行動論との接点
②マクロ組織論との接点
③クロスレベルとの接点


金井先生からの組織行動論からの視点は、一番HRMに近く、これまでもコラボ研究がされてきたようです。


若林先生からのマクロ組織論は、HRMからは少し離れるものの、優秀な人が集まった集団は必ずしも優秀な組織ではないという重要な示唆がありました。


竹内先生のクロスレベルという視点は、マクロもミクロもそれだけでは足りず、システムで捉える必要があるという事だったかと思います。


まだスタートしたばかりの取り組みですが、大きな宝が埋まっているような気がします。

2010年12月5日日曜日

0.5%




昨日、社内の若手選抜教育の講義パートが終了しました。

毎年、受講できる人数は、若手の中のわずかに0.5%です。優秀であるとか、優秀でないとかそういうレベルの数字ではないですね。本当に運がいいかだけだと思います。


この選抜教育が始まってから、今年で確か25年目だったと思います。今では、ほとんどの講座をこの選抜教育の卒業生が支えています。私のように卒業後、人事に異動して講座の運営を担当するものもいれば、ナレッジプロバイダーとして、講座の一つのコンテンツを考えてくださる方もいます。


今年、6月から始まって半年で登壇いただいたかたは社外、社内を含め、全部で53名になります。受講生の倍近い人たちが、この講座に関わってくださったかと思うと、本当に感謝です。


しかも、講座では登壇していない人たちの影響も大きく受けています。ラーニングイノベーション論での資料もたくさん使わせていただきました。


やっているときは、金土の泊まり込みとかもあって、結構きつい時期もありましたが、終わってみるとなんだか懐かしい気がします。
また、4年前に受けた内容を振り返るのにもちょうどよかったと思っています。



講座編は終わりましたが、彼らにはこれから試練の課題創造アクションラーニングが待っています。本当に眠れなくなる日々が続くのはこれからです。


4年前の私がそうだったように、ドラクエで例えるならば、彼らはまだスタート地点でお城の中のいろいろな人に話を聞いて、こんぼうや薬草などをそろえたばかり、レベル1の状態といったところでしょう。これからスライムを倒しに城の外へ越境していく必要があります。



毎年、なかなか越境できずに、自分の専門の狭い範囲で課題を見つけてくる人がいます。選抜教育でなければ、まあそれもいいでしょう。
でも、越境するのに十分なことはやってきました。毎年、越境して広い視点を身につけていく人たちがたくさんいます。今年はぜひたくさんの越境学習者を出したいと思います。



実は、越境にたいして最大の壁は自組織の部長だったりするんです。超選抜であるがゆえに、成果を無難なところに求めようとする力が働きます。もちろん所属している組織によって違いはありますが。そういった力も振り切って自分の信念を貫いてほしいなあと願っています。



これからの私ができることは祈る事ぐらいなので。

アクセプタンス




Q×A=E


GEの有名な変革の方程式です。


Qは変革のコンテンツ。Eは効果。変革のコンテンツがいかにいいものであっても、効果が出るかどうかは、Aによります。


Aはアクセプタンス。組織の理念で言えば、浸透のメタファーで語られるものだと思います。変革のコンテンツに対して、どれだけ人々がコミットできるかと行ったところでしょう。



毎年、選抜教育の受講生に向けて、GEのクロトンビルでリーダーシップを教えている方に、講座を開いてもらっています。そこで教えてもらっているのが、GEの変革についてと、その中でもアクセプタンスをどのように大きくしていくかというCAPというツールです。



私は今年、4年ぶりに話を伺いましたが、GEのスピード感と変革の浸透といったところさえもシステマチックに考えて実行しているところが本当にすごいなと思います。


GEのように、本当に多様な人々が集まって出来ている巨大な会社の脅威は、その巨大さゆえにスピードが落ちる可能性があるということだそうです。巨大でありながらスピードよく実行するためには、組織形態もそうですが、変革を決まったプロセスで実施する、それを徹底してリーダーがやるということが必要なのだと感じました。


ある変革プロジェクトを実行するかしないかというのは、ワークアウトというやり方で決心する。決めた後は、CAPでその決めた事をいかに早く実行するかということを考える。


このやりかたが、どの会社にとってもいいというつもりはありませんが、企業理念でもそうですが、正解というものはないのだと思います。であれば、決めた以上は素早くやり続けるということを考えるという割り切りも大事です。
CAPの内容はここでは書きませんが、教育学の視点もうまく取り入れられているように感じました。



私個人は、GEの風土にはとてもあいそうにないので、中で働きたいとはこれっぽっちも思いませんが、リーダーシップの考え方、割り切り方など、とても勉強になる会社、組織体だなと思います。


GEの内部でも、こういったツール類のコンテンツは5年ごとにクロトンビルで見直しているそうです。そして、一度作ったものはずっと使い続けるともいっていました。もちろん、ジャックウェルチの時代以降の話ですが、そういった継続性というものもGEの強さなのだと思います。


それにしても、4年前に比べて、ずいぶん話の内容がわかるようになりました。それは自分が変わってきたからなのですが、そういった自分の変化を感じられるというところにも、おなじ話を聞く価値がありますね。



2010年12月3日金曜日

企業戦略に見る企業人の学び

立教大学大学院ビジネスデザイン研究科の大久保隆弘教授にご登壇いただいています。

シャープの企業戦略の事例をとても興味深く聞いていました。

オンリーワン戦略。とっても有名な話なので、聞いたことはあるかもしれません。ナンバーワンでは無いですと。世の中に無いものを創る、他者からマネをされるものを創り続けるというものです。


液晶テレビが出てくる前は、シャープと言えばブランド力のない家電メーカーでした。松下などと違って、ちょっと安めのテレビとかカセットレコーダーなどの会社だったと思います。電卓は有名でしたが、家電の中では安価な商品なので、ブランドには影響なかったかと思います。


シャープがトップブランドに躍り出たのは、液晶テレビです。亀山モデルというMADE IN JAPANの高品質を売りにしたブランドで、他社のテレビよりも高い値段で売られていました。


でも、今は元気がありません。各社もみんな同じく3Dテレビを発表し、シャープがトップを走っているというイメージはもう昔のこととなってしまいました。世界的に見ても、韓国、中国のメーカーが格安の液晶テレビを出していて、この間、LGのコマーシャルをとうとう日本でもやることになったのかと驚いています。


シャープには、緊プロという戦略に直結した仕組みがありました。緊急にやる必要のあるものについて、プロジェクトリーダーが各部署から指名で人を集めて、社長直結でプロジェクトを推進するという仕組みです。各部署のマネージャーは優秀な人を引き抜かれたくないと思うものですが、拒否権がないという仕組みです。


組織としてみた場合、通常は社長の目に留まらないような若手が緊プロに呼ばれて活躍することで、社長も組織内の優秀な人を把握できるし、成長の機会を与えることも出来ます。


いい仕組みがあったのにも関わらず、なぜ、液晶テレビはだめになってしまったのでしょうか?


サムソンは、現地に溶け込んでその土地にあったものを創るように本社に要求します。このやり方は、エスノグラフィーそのものです。販売店も、ローラー作戦で増やしていき、サムソンが当たり前だと現地の人に思わせてしまいます。見かける回数が多いと、みんなが持っているような気になります。



それに対して、新しく生み出した液晶テレビというものをシャープは有効活用できなかったのかもしれません。緊プロで取上げられるもの=新製品、新開発のもの、は社内でもプライオリティーが高いのですが、それをどのように売るかというものを、少し軽く見ていたような気がします。人が育つのに、緊プロがいい場であったかもしれませんが、新しい物を生み出すことに重きを置くばかりに、売るということを軽視するように学習してしまった結果なのかもしれません。


もちろん、為替の問題、国の政策の違いなど諸条件はありますが、組織内にいると、企業の戦略が何を学んで何をアンラーンするかということに対して大きな影響を与えます。でもそれは、企業の盛衰に直結するということです。


結果としてではあるものの、組織外から学ぶということは、組織内における企業戦略から学ぶことが出来なかったものに対してのポートフォリオの役割をしているのかもしれません。

ピクニック・イン・ザ・ダーク

ここ何年か、いろいろなところで体験したという話を聞いていたダイアログ・イン・ザ・ダークに行ってきました。


メンバーは、慶應 MCC ラーニングイノベーション論 1 期生と 2 期生、そして中原研の皆さんです。全員で 36 名の参加でした。

9 人で1チーム、全部で4チームに分かれて、暗闇に入っていきます。 1 チームに1人、ガイドをしてくださる人がついています。


体験して気づいたことがいくつかあります。


一つは、私の体験したチームには、隊長と呼ばれる人がついてくれたのですが、隊長は視覚障害をもっているにも関わらず、暗闇に入っていくと、目が見えているように行動します。「こちらに来てください」とか、「ここに池があります」とか「椅子があります」とか教えてくれます。もちろん、暗闇の中を憶えているので分かっているのだと思いますが、全く分かっていない自分達との違いが鮮明になります。暗闇で動き回っている間、隊長だけは周りが見えているような錯覚に陥っていました。      


次に、暗闇に入る前に、一つルールを教えてもらいます。自分のニックネームと行動を 1 セットで周りの人に伝えます。そうやって入っていくと、みんな良くしゃべります。そしてみんな助け合います。隣の人がしゃべっていないと、気配が消えていきます。不安を消すように助け合い、しゃべりあうということです。気配を感じる為に聴覚、触覚、嗅覚などの感覚が鋭くなります。


しかし、暗闇からみんなが出てくると、しゃべらなくなります。隊長からも、「皆さん、急にしゃべらなくなりましたね」と言われました。周りのものが確認できるという安心感が広がり、しゃべる必要がなくなっていきます。しゃべるということ以外での会話が大きいということも言えるかもしれません。暗闇に入っているあいだにとても疲れたからかもしれません。



終わってから振り返ってみると、ほんの少し違和感が残りました。 なぜ、暗闇の中ではしゃべりあい助け合うのだろうか? 目が見えないという状況に置かれたときには、生命の根源的な危機感が生まれるのかもしれません。一人では対処できない状況において、生き残る為の原始的で本能的な行動なの? ジェネレイティブ・ダイアログでのメンバーの関わりとダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇の中で感じた一体感は同じなのだろうか?



確か、池谷さんの脳の本に、脳は勘違いするということがかかれていたような気がします。例えば、つり橋で告白すると、つり橋の恐怖でのどきどきと告白でのどきどきを勘違いしてしまうとか。


ダイアログ・イン・ザ・ダークでの体験はなんだったのかもう少し考える必要がありそうです。

2010年12月2日木曜日

笑顔イベント

みんなが笑顔で仕事が出来るために、私が出来る事は?


人事部門の組織活性化活動の1チームが笑顔イベントを開いたときの、ワールドカフェでの話し合いのテーマです。


イベントの初めに、社内でいつも笑顔の人と、社外の人の二人から笑顔についてご自身のストーリーを語っていただいて、その後、ワールドカフェで全員で話し合います。


参加者は50名ちょっと。社内外の人が入り交じって、とっても良い雰囲気の会になりました。


今回は、私は参加者として、純粋に会を楽しんでいました。ファシリテーターは、組織活性化全体の中心人物ですが、今回初めてファシリーターをトライしました。こういった場でのファシリテーターとして最も大切な事、参加してくださった方のあり方を信じて、場を参加者にゆだねる、ということが出来ていて、参加した皆さんがとても心地よい場に感じられていたと思います。


細かい点はいろいろありますが、大切な事を手放さずにして、後は経験を重ねることが大事だと思います。また新たにすばらしいファシリテーターが生まれました。


会に参加して私の心に残ったものは、「今までよりちょっと隣の人の事を知る」というものです。


終わった後の懇親会も35名程度の人が参加していて、お店も貸し切り。いつもの懇親会と違って、こういうのっていいよね!という声も聞こえてきました。


準備された方々はとっても大変だったと思いますが、こういったイベントが組織文化を少しづつ進化させていくのだと思います。


今後も続いていけばいいな。

2010年12月1日水曜日

身体の記憶

記憶力がいいってどういうことでしょうか?



昔から、地名を沢山覚えているとか、国旗の国の名前を言えるとか、そういう人のことを記憶力がいい人と聞かされてきたような気がします。



テレビで見る記憶力のテストでも、無関係な文字列を憶えるというのが多かったと思います。



自分の中での記憶力とは、そういった言葉にしたモノを覚えているということが無意識の中にありました。



良く考えてみると、そんなことはないんですよね。言葉にできない風景や匂い、感触なども憶えています。



でも、そう言った感覚を記憶力が良いと言われてこなかったので、いままであまり意識していませんでした。



慶應MCCの近藤さんのワークショップで、身体を動かしていると、言葉では表現できない動きが、記憶できてしまう。まあ、皆出来ていましたし、当たり前といえばそれまでですが。



言葉にできないことをあっさり憶えてしまう。そう言った認識を得られただけで、自分にとっては大きな学習でした。




また、前屈というのがありますが、それが身体の固い代表のように思われていますが、実はそこが固いだけで、身体の固さとは違うということも言われていました。



確かに筋肉や関節は身体全体にあるので、前屈で使う部分だけではないです。言われてみればそのとおり。



記憶力を測るのに、言葉だけを使っていることと同じですね。



もう少し記憶力というものについて、考えてみようと思います。