2010年11月29日月曜日

企業のDNA

DNAとは、生命の進化の過程で出来た、ある生命をそのものたらしめるようにするための設計図。



企業のDNAというメタファーをいろいろなシーンで聞きますが、その企業がその企業らしく存在する為のものを差しています。



そのDNAというものは、創業者や、企業の歴史上のリーダー達によって形作られます。企業内において、歴史の教育があるのは、その為だからとも言えます。



しかし、私の会社には、その歴史教育がこれまでほとんどありませんでした。私が自社の歴史について触れたのは、入社して11年目の選抜教育を受けた中でした。



最近、ようやく新入社員の研修の中でやっているようですが、今だに、自分の組織の歴史どころか、創業者の名前を知らない人が沢山います。



自分が4年前、自社のDNAを知った時に衝撃と納得感が入り混じった感覚を、少しでも周りの人に感じてもらいたい。そして、これからの未来を考えてもらいたい。そんな思いから、今年、人事部内でDNAの勉強会を始めました。



1回目は、企業の歴史編。2回目はヒーロー編です。



先月行った歴史編は、まずまずの手応えでした。今週の2回目に向けて、準備中です。



企業とかブランドとか、そういったものを形作っているのは、モノなのではなく、その背後にいる人たちなんだということを少しでも感じてもらいたいなと思っています。



先週の土曜日、ラーニングイノベーション論のメンバーから、自分の企業の文化にちなんだ話を沢山聞きました。とても面白く、また、その文化に合わせた取り組み、DNAを生かす取り組みが必要だと改めて気づかされました。



時には、DNAを変質させ、進化することも必要だと。

2010年11月28日日曜日

ジョブズのプレゼン

ジョブズのプレゼンは、なぜそんなに人々を魅了しつづけられるのでしょうか?
プレゼンのテクニックを習って、そんな人々を魅了するプレゼンをすることができるのでしょうか?



最近、いろいろなところで耳にしたり、目にしたりするようになった本のタイトルは、「スティーブ・ジョブズ 脅威のプレゼン」



今年の7月に発売になってから、マスコミ等でも取り上げられて、かなり話題になっている本です。社内でも結構読んでいる人の話を聞きます。



◯◯の法則とか書かれている本は、個人的にはあまり好きではないので買わないのですが、出版社の販売戦略で日本名タイトルが付けられていることもあり、最近はあまりきにならなくなってきつつあります。


ちなみに英語名のタイトルは、


The Presentation Secret of Steve Jobs


あまり違訳ではなさそうですね。


じっくり読んだわけではないですが、その中で特に印象に残ったことは3つあります。


1つ目は、ストーリーであること。
2つ目は、体験談であること。
最後は、場のしつらえ。



1つ目のストーリーというのは、本当に、最近身の回りに良くでてくるキーワードです。

研修で登壇していただいた一橋大学の楠木先生は、まさに、ストーリーで戦略を考えなさいと言っていて、面白いストーリーと感じるものは成功すると言っています。

その他に、社内の有志で開いている「ラーニング・カフェ」という対話の場の構成は、ストーリーテリング+ワールドカフェでやっています。

それ以外にもいろいろありますが、ストーリーのパワーというものを改めて感じています。



2つ目の、体験談であることということについてですが、ラーニング・カフェのストーリーをお願いする時は、お願いする人の体験を振り返ってもらって、そこからリアルな人の名前とか、日時とか、一見関係なさそうなことを話してもらうようにしています。聞いている方は分からなくても想像できて、いい話になります。

先週の土曜日のポスターセッション・おかわり!もナイスなトークではなく、リアルなトーク、ココだけのトークが満載でした。リアルな体験談であればあるほど、そこに感動が生まれるなと感じています。



3つ目は、場のしつらえ。
小道具を使うとか、服装に気をつけるとか、そういう風に本には書いてありますが、その本質は場のしつらえにあるように感じました。

対話の場のしつらえも同じですよね。主と客が一体になるような工夫をいたるところにします。しかも、主人の意図を押し付けることにならないようにバランスよく。

私がラーニングイノベーション論番外編で用意している場のしつらえは、中原先生のオープニング、ラップアップの資料を少し書き換えて出すことです。元々、主人の意図を押し付けられるくらい意図を持っているわけではないのですが、参加した皆さんがすっと場に入れるように、しかも楽しい場になるように、自らも楽しんでやっています。



これら三つの要素、ストーリー、経験、場、というのは、学びにとってもとても大事な要素です。これらが入っているプレゼンであれば、魅了されないわけがないような気がします。


あとは、自分がこのようなプレゼンができるかどうか。
練習あるのみですね。

ポスターセッション・おかわり




ラーニングイノベーション論の本編最終回、ポスターセッションが終了してから約1ヶ月経ちました。本編では、2人の話を聞く事しか出来なかったので、当然、みんなの話を聞きたいという欲求が出てきます。


慶應MCCの場所を借りて、本編最終回と全く同じレイアウトのように全員分の最終課題を飾ってもらって、ポスターセッションおかわりを開きました。


集まることが出来たのは、10名。1時すぎに一人を除き揃ったので、オープニングを始めました。資料は気分を盛り上げるために中原先生の最終回の資料を少し編集して使いました。軽く笑いをとりつつ、スタート。


場所は5時まで借りる事ができていましたので、休憩を2回入れて、一人15分で十分間に合う予定でした。


開始してみると、議論がのびるのびる。発表の5分は皆さん守ってくださいましたが、議論の10分は結構白熱で、6人終わったところで残り1時間しかありませんでした。

残りの4人はちょっと時間厳守で一人15分弱。なんとか時間内に終了することができました。皆さんの協力に感謝です。


最後のラップアップも中原先生の資料をベースにこちらも終了。
笑いを入れつつ、でもちょっとまじめに。大人の学びですから。



みんなの話を聞いて思ったのは、まだまだみんなの事を知らなかったなということと、知る事ができて良かったということ。また一歩、関係の質があがったように思えました。


いろいろな企業文化があって、それにあわせてやる事を考える必要がある。

自分がみんなのために出来る事がもう少しあるんじゃないか?もっと貢献できたらなと考えていました。



今の自分がどれくらいのものをもっているのかはわかりませんが、全部出してみようと思います。


今日の話の内容は書きません。ここだけの話がとっても多かったので。それだけナイスなトークではなく、リアルなトークが出るとってもいい雰囲気になっていました。



本編にはなかった、姫の発案のイイね!シート、ひらめいた!シートもとっても良かったです。ある人の発表を聞きながら、イイね、ひらめいたと思った事を一言書いて、隣の人に回す。隣の人は前に書いた人のコメントと自分の思っている事から発想してコメントを書いて次の人に回す。


そして、みんなが書いてくれたコメントをおみやげに持ってかえる。
今、皆さんに書いてもらったコメントを読ませてもらって、本当に温かい気持ちになります。



最後に、慶應MCCの場所だけでなく、液晶ディスプレイ、テーブルや全員分の資料のセッティング、イイねシートのコピー、ポストイット、ペン、バインダーなど私たちが学びやすいように場をセットしてくださった、ラーニングファシリテーターのホーヤさんに大大大感謝です。


これからも番外編はつづきます。

2010年11月27日土曜日

トーキングオブジェクト



かつて、ネイティブアメリカンが会合のときに使っていたのが、トーキングスティックと呼ばれる棒のことです。これを持っている人しか発言権がないルールになっています。


ダイアログの場でも、使われる事があると聞いていました。

今日参加した場作りを考える会で、トーキングスティックとおなじ役割をするトーキングオブジェクトが出てきました。今回、初めてこういうものを使っての対話の場だったので、楽しみにしていました。


始まってみると、なんだかとても違和感があります。まず、対話になっていない。自分の考えていた事をダウンロードするだけで、そこから対話、ダイアローグへ移ることが難しかった。



初めは、なれていないからなのかと思っていたのですが、今回の対話の場はワールドカフェスタイルということで、テーブルを代わって話し始めても、それはあまり変わりませんでした。



あまりにも違和感があったので、テーブルのみんなに、とってもコントロールされている感じがあって、話をすることに強制力を感じる、対話になっていないということを率直に話をしたら、ほかのメンバーも同じように感じていました。その思いを共有した後は、少し呪縛から逃れたかのようにいつもの対話に近い雰囲気で話す事ができました。



終わった後も、その疑問は残り続け、トーキングオブジェクトと自分の相性、自らの感性の問題なのかとツイッターでつぶやいてみると、私達の組織の変革をサポートしてくださっている方から、

「トーキングオブジェクトは、それを隣の方から手渡された瞬間、話そうと用意していた言葉が消え、その瞬間の想いが口から流れ出る…。その想いはサークル全体の集合的意識の流れから生まれ出るもので、意識の流れを信じてファシリテーションしていないと生成しません」

といわれました。



今日の場は、茶道の女将と、対話の場をいつも作っているファシリテーターの方の2名のゲストをきっかけに対話する場でした。初めは参加者とともにインタラクティブに進めようと思いますとファシリテーターの方が言っていましたが、女将と参加者のやりとりの1回目が少しかみ合っていなかったことがあって、それ以降、ファシリテーターの方がすぐに参加者とのインタラクションを切ってしまいました。



一体になりかけた場が、ゲスト2人の掛け合いとそれを別の場所からみているその他大勢という感じになりました。


そのままインタラクティブにやっていると、確かに発散したり、噛み合ないままの場になった可能性もあったと思いますが、ファシリテーターが場に参加している人たちのよい場をつくりたいというBeを信じる事ができず、自らのテクニックで当たり障りのない場にコントロールしたことが、トーキングオブジェクトのコントロール感につながっているのかといまになって振り返ってみるとそう思います。



かみ合っていなかった話の中に、熟達者は自分がオートでやっていることを言葉にすることが難しいとか、実は結構気づきがあってよかったので、あのまま続きをやっていたら、違うよい場になっていたのだろうなという予感はあります。


でもまあ、こういった場もなかなか体験できないので、自分にとってはよい経験になりました。



では、私はどうするのか。
お茶は心で楽しむもの。テクニックではないというのが今日改めて心に刻んだ一番の学びです。

まずは、三國連太郎主演の映画、利休をもう一度初めからみようかな。

2010年11月25日木曜日

あなたにとって良い仕事とは?




中原先生のLearning Barやラーニングイノベーション論に出ていた人であれば、すぐにわかりますよね。三井物産の渡辺さんが自社の組織理念を共有するということのスタートとして「よい仕事」ということを考える事から始めましたと紹介していただきました。

中原先生のLearning Barのブログ記事はこちら。




偶然なのか自分でもわからないのですが、同じ問いで人事部の中の20名で対話する場を作りました。


作ったというよりは出来てしまったというほうが適切かもしれません。その問いは、雲の切れ間から光がさしたかのように、自然に浮き出てきたのです。



半月ぐらい前に、部内の組織活性化推進メンバーより、何か話をしてくれないかという依頼を受けました。そこで、私が話をしようと思って、今日まで準備してきたのが、ラーニングイノベーション論で鉄道整備株式会社の矢部さんからお聞きした事例でした。カラーの資料で説明したかったので、矢部さんにお願いして、ラーニングイノベーション論の講義の中で使った資料のpdfを快くメールでいただき、準備を進めてきました。


講義だけではつまらないので、聞いている人たちにあるテーマで話をしてもらおうと考えていました。さて、どういうテーマにしようかと思ったとき、なぜ自分はみんなに矢部さんからお聞きした話をしたいのかという問いにぶつかりました。



頭の中が真っ白になっていくのを感じ、その問いだけが残ったとき、ある言葉が浮かんできたのです。


「仕事ってなんだろう?」


テッセイさんの仕事場には、いい仕事があふれていました。でも、それは、テッセイさんにとってのいい仕事だったんです。だったら、自分達にとってのいい仕事って何?



ドライビングクエスチョンというのは、こうやって心の底から生まれるのだなというよい体験でした。



テッセイさんの事例を紹介して、その後3グループに分かれて話し合った結果出てきたものは、

  ありがとうと言われること
  信頼されること
  ○○の会社の人っていいよねといつの日か言われたい

でした。


今回参加できなかった部員とも共有するため、話し合いの結果は事務所に張り出されると思います。


答えのないことだから、自ら定義するということが唯一の答えなのでしょう。そのきっかけに少しでもなってくれたらいいなとおもいます。



帰り際に、同じグループのメンバーから、「新幹線の話をしてくれてありがとうございました」、と言われました。同じグループのメンバーからそういうことを言われるとなんだかうれしくなります。準備してきてよかったと改めて感じました。




最後に、私にとっての良い仕事とは、「サスティナブルな社会の実現に貢献する事」。今は地球規模でこのテーマについて考えられる人たちを一人でも多く生み出すことを考えていきたいと思っています。


そのためには人は変わり続けなければ。まずは自分が変わり続けることによって。

「現場」を変える101人



日経ビジネススクールとヒューマンバリューの共同企画フォーラムで、9月より、ストーリーフォーラムが開催されています。フォーラムと言えば、管理職の偉い人や、有名な人が話をするのが普通ですが、実際は現場の実践者が苦労しながら改革を推進しているんです。


このフォーラムは、そういった、普段は着目されにくい人、でも大きな推進力を持っている人にスポットをあてて、その実践者のストーリーを聞き、参加者同士で対話をしながら学びあう場です。


いつもは私の職場で隣に座っている人が参加しているのですが、今回は都合が悪いということで、チケットをもらって代理で出席しました。


第1期の最後、5回目ということで、今回のストーリーテラーは富士ゼロックスの研究技術開発本部で研究に従事しながら、組織の変革を実践しているかたでした。


会場に行ってみると、知っている人がいるではないですか!なんと、ラーニングイノベーション論で一緒だった、西の社長が参加していました。こんな、大手町で西の社長と遭遇するとは思いもせず、偶然ってあるんだなと思いながら参加していました。


今回のストーリーテラーのかたのストーリーも、まさに偶然の積み重ねでした。
社内留学でMITに行っていた2年目に、研究テーマが変わって、自己組織化を目の当たりにした事、かえってきてからの事業所の統合、タスクへの任命、AIOSTとの出会い、他企業とのコラボレーションなどなど、数えればきりがないほど偶然が多いと感じました。



おそらく、偶然とは、まわりにいくらでもあって、それに気づけるか?なのだと思います。偶然に気づくことができるように、日頃から周囲への関心の感度を高めておくことが必要なのだなと感じました。どうしても、自分のメンタルモデルに固執してしまうと、見えているものも見えなくなるものです。偶然とはメンタルモデルを保留する事によって見えてくるものなのかもしれません。



参加されていた方は、全部で40名弱ぐらいでしたが、さすがにこういう会に参加される方々だけあって、皆さんと話をしていて、とても自然で心地よい時間でした。ラーニングイノベーション論の初回でも感じていましたが、越境学習者の集団であるからなのか、不思議な感覚です。



企画されている皆さん(といっても、ほとんどの方が知り合いなのですが)と、終わった後に少し話をしたのですが、5回目で、だんだん対話の場の雰囲気が変わってきた、徐々に軌道に載ってきて、手応えを感じられているようです。新しく、チャレンジングな取り組みですので、私も陰ながら応援しようと思います。



2期の再開を楽しみにしつつ。

2010年11月23日火曜日

マネージメント・バイ・ビリーフ


野中先生が少し前に共著で書かれた本で、マネージャーにたいして、信念を持ってマネジメントすべしというメッセージが書かれています。

そのメッセージは、とても心に響き、野中先生のありたい姿というものが現れているように見えます。



なぜ、この話題なのかというと、この本の最後の方に、SDSSECI ダイアログ セッション)という対話の場の事例が載っていて、今日はその受講案内を100名のマネージャーに送り、その後の受講日変更の対応に追われる事務処理な一日だったからなのです。



去年から数名でトライアルをやっていたのですが、もちろん、本に書かれている通りにはなかなかいかない。


トライアルを通してわかった事は、対話の場というものは、ファシリテーターがどのようにその場に存在したいと思っているかによって、変わってしまうということです。

まさに、主客一体となって、場は作られるのです。




それまでの私はとても恵まれていて、すばらしく場をホールドしてくださるファシリテーターの方々にしかお会いしていませんでした。その方々から実践で学んだ事を自分たちの場づくりに生かしてきていたので、そういう場があたりまえのものなのだと思っていました。

探求の場になっていないというのはどういう事なのかというのを実感できていなかったのです。



トライアルでのファシリテーターの方は、問題解決型のファシリテーターでした。問題が明確で、会議で短時間で結果を出すためには、そういったファシリテートも必要なのですが、今回の対話によって自らを探求する、マネジメントを探求するという目的にはあっていませんでした。


結局、ファシリテーターが向かいたい方向にコントロールされた感じが残っただけです。予定調和な場だったのです。




でも、この体験は新たなステップを呼びました。
ファシリテーターを内部でやろうという決心をしたきっかけになったのです。


今年度の初め、社内のラーナーに声をかけ、15名のメンバーが揃いました。彼らとともに、ジェネレーティブファシリテーターとして、どうありたいのか?どうすれば探求できる対話の場を作れるのか?というのを探求しながら、ようやく実施の段階まできました。もちろん、様々な方々にサポートを受けながらです。




なので、今日は事務処理ばかりの一日だったのですが、これからようやくこれまで準備してきたことの最終段階、これから、マネジメント・バイ・ビリーフを探求する場ができる、とっても楽しい事務処理だったのでした。




でも、久しぶりに一日中机にかじりついていたので、さすがに体が疲れました。

2010年11月22日月曜日

センシング

Uプロセスの続きです。


今までもUをおりる事を意識してきたつもりでしたが、ぜんぜん出来ていなかったということに、本を読んでいてわかったので、まずは、しっかりと降りれるように意識をしています。



今日は、人事部門の中の活性化活動で横浜の本社に出張でした。人事部に異動になってから1年半、本社の人事フロアに顔を出すようになってからしばらく経ちますが、ずいぶんと知り合いが増えてきて、いまでは出張で行ってもすっかりなじんでいる感じです。



そんなことはともかく、出張の目的は大きく2つ。


一つめは、人事部門の役員とのランチョン。活性化活動のメンバー5人と眺めの良い役員フロアでランチを食べながら、学びについての話をしました。
早速、センシングのターゲット発見ということで、同化できるかトライしてみました。


むむむー。難しい。そりゃそうですよね、よく知らないし。でも、関心事はよくわかるものでした。例えば、

・会社の学びと個人の学びをどう結びつけるか?
・学び続ける人=かわり続ける事が出来る人をどうやったら増やすことができるか?
・ワールドカフェのような対話の場っておもしろいね

とか、結構関心がずれていなかった。(というか、合わせてもらっていたのかもしれませんが)



ちょっとシーイングまでは行ったかなと思いますが、センシング(同化)までいかなかったので、続いて二つめの目的で試す事にしました。


二つめの目的は、活性化の活動のメンバーと、産能大の長岡先生に相談しようと思っている対話の場づくりの作戦会議。


その中で、今度はいつもは違う場所で働いているメンバーをターゲットに同化(センシング)を試してみました。


が、やっぱり難しい。メンバー同士の対話は、ほとんどポジティブなんですが、人を巻き込むところでなんとなく壁があります。その壁を気にしないようにポジティブにしようとしてもうまくいかないので、ネガティブと思える壁にたいして、同化して向き合わなければいけなかったなと思います。



それが出来なかったのが、今日一番の反省点です。


ポジティブアプローチは現状のネガティブから目をそらすことではないので、その事にあらためて気づけたのはよかったと思います。


旅はまだまだ先がありますね。

2010年11月21日日曜日

予言の書


待ちに待ったU理論の翻訳本を手にして、1/3ちょっと読み終わりました。はじめから驚愕の感覚を覚えています。


この感覚はこれで2度目になります。一度目は、2年ぐらい前になると思いますが、学習する組織、10の変革課題フィールドブックを読んだときの事でした。


自分がこれまでやってきたこと、苦労し、試行錯誤したことなどがことごとく書かれている本でした。しかも、何年も前に書かれているのです。
まさに、私にとって初めて出会った予言の書でした。


そして、U理論の本。

もう二度と予言の書にはお目にかかる事はないだろうと思っていたのに、あっさり期待を裏切られました。
いままでやってきたことがいかに浅いものであったのかを突きつけられました。


Uプロセスは本当に難しい。それこそ鍛錬のいる事だと思います。でも、これからの世の中に必要なものなのだからこそ、この難しい事に取り組んでいこうということは感覚で感じています。


この本で、これまでのUプロセスの理解に対して、より深い部分で理解がすすんでいくだろうという予感がしています。



それだけではなく、このU理論の訳本が今の時期に発売になったことも偶然ではないと思えています。


おそらく、半年前にこの本を手にしていたとしたら、今の理解に到達していなかったと思います。Process Uが翻訳されて出るというのはずいぶん前に聞いていました。その後、翻訳にずいぶん苦労しているというのも聞いていました。そして、その遅れている間にラーニングイノベーション論を受けていなかったとしたら、と思うと、何か別のものにタイミングを仕組まれたと思ってしまいます。


そんなことはありえないのですが、偶然にしては出来すぎています。


まだまだプレゼンシングに到達できないでいますが、学びの神のおかげで、一歩近づけたような気がします。

2010年11月20日土曜日

コンストラクチュアルデザイン


神戸大学の金井先生がツイッターでつぶやいていた言葉
「インストラクショナルデザインにくわえて、内省や対話、ともに気付くことを大事にするなら、コンストラクチュアルデザインがあったらいいのにと思う。」
という言葉にビビッときてしまいました。


ビビッときたのは私だけではなさそうです。
ラーニングイノベーション論のイデさん、イマベップさんも即座に反応していました。


ということで、コンストラクチュアルデザイン研究会を開こうと思います。



とはいっても、簡単にはいかないので、まずはみんなで構成主義(社会構成主義)について勉強するところから始めようと思います。
私は、インストラクショナルデザインや客観主義よりも、社会構成主義のほうがなじみが深いのですが、いくつか疑問を持っていました。


①これまで会社の中で主にやってきたことは、他の会社、組織ではどう違っているのだろうか?
②これまでデザインといっても、対話の場などを作るときは、作ろうとしている人の影響が大きかったと思っているのですが、デザインという視点で、共通の注意点やプロセスなどがあるのだろうか?
③社会構成主義はこれからどう発展を遂げるの?


最近、対話の場はいたるところで興っています。特に、ワールドカフェという手法が広まっています。
短時間で多くの人と対話をすることと、その場では結論がでない事、、いや、結論は自分の心の中にだけ存在する方法といえるかもしれません。無理に自分の納得いかない全体としての結論を出すよりも、そのほうがいいということでしょう。


こういった解釈も、個人のものなので、他の人が体験した結果、どう思ったのかとか共有して探求したいと思います。



ワールドカフェのほかに、ストーリーテリング、オープンスペーステクノロジー、アプリシエイティブインクワイアリーなどなど、話し合いのデザインはいろいろあります。私も、社内で自組織の変革をしたいという人達の為に、アプリシエイティブインクワイアリーやワールドカフェのファシリテートをやったり、サードプレイスの学びの場として、ストーリーテリングとワールドカフェを組み合わせた「ラーニングカフェ」(Learning Barの名前をちょっと真似ました)という場を作ったりしています。



少し、自分のやってきた事を含め、メタの視点で見直してみたいという思いもあります。


また楽しいことが増えそうです。

2010年11月19日金曜日

認識の不思議

今日、面白いビデオをみました。

認識について考えさせられるビデオです。おそらく、導管モデルでは、伝わらないということに対しても、いいビデオではないかと思います。


試してみようと思う人は、このブログを最後まで読まずに、途中でビデオをみてください。

ビデオの中では白3人・黒3人の2チームでバスケットボールのパス回しをしています。

「白いチームで何回パスがされたかを数えてください」という課題です。見にくいので、良く注意して見て下さい。


ユーチューブのビデオです。
http://www.youtube.com/watch?v=ONGcmdiirFU&feature=youtube_gdata_player


それでは、ここまでで試すかたはこれ以降を読む前に試して下さい。







さて、パスは何回でしたでしょうか?




このビデオは、認知心理学者のナイサー(Neisser)の研究グループが、心理学実験のデモおよび実験刺激映像として作ったもので、「選択的注視(selective-looking)」研究と呼ばれているそうです。

映像で何か気づいたことはありませんでしたか?




その映像の途中でゴリラが画面を通過します。

2割の人しか、ゴリラに気づかないそうです。

もう一度映像を確認して見て下さい。
どうでしたか?


デモ自体は1970年代に出されたものですが、現在でも認知心理学実験のツールとして使用されているそうです。

“inattentional blindness”(非注意による見落とし)という研究の発端となった映像と言われています。


映像をみている時に、別のことを気にしていると、本来見えている対象に注意が向けられていない、「非注意」状態になり、意識にのぼらなくなってしまう。

視覚認知の研究者たちがこの映像を題材に研究を行っているそうです。


学びについても、同じことですよね。同じことを経験しても、同じ講義を聞いても、どこに注意を向けているかによって、見えているもの、聞こえているのもであっても、脳が認識しない。


本当に、こういうことを経験してしまうと、何度でも同じことを聞きたくなってしまいます。

本も何度でも読みたくなります。



時間は有限なので、そういうわけにはいかないですけどね。

2010年11月18日木曜日

子供の頃の思い出

中原先生のブログに、子供の頃の心象風景ありますか?という問いがあったので、少し考えてみました。


心象風景というのは、あまり思い当たらなかったのですが、なぜか覚えている事があります。それは小学1年生の頃の事。

幼稚園まで名古屋にすんでいたのですが、小学一年生から1年間ちょっと親の仕事の関係で福岡にすんでいました。そこで初めて友達になった近所のくすのき君のことです。


自分の家は坂道の途中に建っていて、坂道を下ったところにくすのき君の家がありました。坂道を上りきったところに公園があって、よく二人で遊んでいました。

なぜそのようになったのか覚えていないのですが、自分がくすのき君に対して傷つくことを言っています。


言っていた言葉は、「くすの木が歩いているー、くすの木が歩いているー」
子供のころの自分は悪い事の限度がわからなかったのでしょうね。くすのき君はいやがっていたのに冗談のつもりで、何度も何度も言っていました。
とうとう耐えられなくなったくすのき君は怒って一人で家に帰ってしまいました。



公園に一人残された自分。夕日で公園は赤く染まっていました。
追いかける事もできず、ただぼーっと突っ立っていました。
世界で自分一人そこに取り残されたかのようにずっと公園の真ん中で立っている。
記憶の中では子供の自分が永遠に立っています。どれくらいの時間立っていたのか、いつ家に帰ったのか覚えていません。
そのとき、何を考えていたのかも覚えていません。なにも考えられなかったのかもしれません。


次の日、くすのき君は前日のことがなかったかのように、自分と遊んでくれました。くすのきたかし君は自分にとって、とてもすばらしい友達でした。



もう、どこまでが事実で、どこまでが心象なのかもわかりませんが、これだけはいくつになっても覚えていることです。



いまの自分にどう影響しているのかはわかりません。
が、いまは社内も社外もいっしょに学べる仲間に囲まれています。



その後、2年生の夏休みに親の仕事の関係で姫路に引っ越してから、福岡には行っていなかったのですが、社会人になってから一度だけかつて住んでいたところをバイクで訪ねました。

昔はとても急な坂だと思っていたところは、本当はとてもなだらかな坂で、公園は記憶の中の広さとは全く違っていてとても小さな公園でした。昔住んでいた家とくすのき君の家は、記憶があいまいで結局見つけることができませんでした。



それでも、この記憶は今の自分に大きな影響を与えているものだと思います。

2010年11月17日水曜日

理念の浸透と戦略の浸透

あなたの会社にとって、企業理念は必要ですか?


この問いに対しては、殆どの人がYESと答えると思います。



では、その理念の浸透は必要ですか?


もちろん、その為にいろいろ苦労していますよね。でも、従業員のみんな、企業理念は知っておく必要があると思うし、だから、浸透というメタファーを超えて、いろいろやっているんです。



それでは、あなたの会社にとって、人材育成の戦略は必要ですか?


戦略のレベルの大小はともかく、この問いに対しても、殆どの人がYESと答えると思います。



では、人材育成の戦略を浸透させる必要はありますか?



これについてはどうでしょうか?


昼過ぎから延々とこの問いに近い話を人材育成戦略を考えているメンバーとやっていました。


結局は結論は出なかったのですが、自分の中でも、少し煮えきらないところがあるので、もう少し考えてみようと思います。



もし、自分が人材育成施策を受ける立場だったら、戦略がどのように立ったのか、その経緯を知りたいと思います。でもそれは、そもそも自分が人材育成に関心があるからなのかもしれません。人材育成戦略を考えている立場だからなのかもしれません。


もし、そうでないとしたら、どのように戦略が立ったのか知る必要はないのかもしれません。


説明されてもピンとこないかもしれません。


議論の中で、技術者はそういうことにとても興味があるので、ちゃんと説明して、浸透させる必要があるという意見もありました。


大人の学びには目標が必要です。
与えられた目標だけでは納得いかないですよね。他者から結論だけ言われても、納得して自分の目標まで昇華しなければ、学びに結びつかない。それもわかります。


では、どれだけ説明をすれば、昇華できるのでしょうか?そもそも説明すれば昇華できるのでしょうか?自分なりに考えれば昇華できるのでしょうか?


自らの目標として認識して初めて学びに結びつくというのはわかっているのですが、そこにたどり着くまでの道のりはまだまだ険しそうです。

即興実験学校インプロ公演

どみんごこと東京学芸大学芸術スポーツ科学系音楽・演劇講座演劇分野特任准教授の高尾隆先生が開いている即興実験学校が定期的にインプロ公演を行っています。



学校で学んでいる人、役者のたまご、漫才師、サラリーマンなど、いろいろな人が毎月第三火曜日に阿佐ヶ谷の我無双というお店でショーをしています。

ラーニングイノベーション論で初めてインプロに触れてから、もっと理解を深めたいなと思って、通おうと思っています。



今回見に行くのは2回目で、ちょっと会社を出遅れてしまったのですが、到着するとすでに人がいっぱい。30人ぐらいでいっぱいになる場所なのですが、今回も盛況でした。ほとんど、前回と同じ出演者だったので、知っている顔を見るとすこしほっとします。ちょっとだけメンバーが変わっていたので、その分、雰囲気が前回と少し違ったものになっていました。


今回気づいたことは、大きく2つ。

一つは、いつもの音楽をひいていた人がいなかったことで、即興音楽の効果の大きさが良くわかりました。今回も、工夫をして音楽を流していたりしていましたが、即興の効果はやはり大きいなと思います。そのテクニックと、音と動きが合ったときの印象の違いにあらためて脱帽です。

もう一つは、照明のタイミングです。照明をつけたり消したりするタイミングがいい場合とずれてしまった場合で、場の雰囲気が大きく変わります。前回は上手につけたり消したりしていたので、上手だなと思う程度でしたが、今回はその差が実感できて良かったと思います。


2回も行くと、出演者の皆さんの個性が分かってきて、お気に入りの人ができてきます。私の一押しは、いつもぽわーんとした説明と、自分の中ではありえない発想、発言をする女性です。周りの出演者を振り回すその発言がとてもいいです。前回は全く気にしていなかったのですが、今回見ていて、「ちょっとありかも」とビビッと思ってしまいました。ひらめきに近いものだったので、その感覚も不思議でした。



即興公演の途中の休憩の時間と、公演が終わった後の時間で、出演している人たちと観客で来ている人たちとの交流があるのですが、それがとてもいい場になってます。ちょっとした感想や、仕掛けなどを話すことで、見ているほうは理解が深まりますし、出演しているほうは、話の中から次の舞台のインスピレーションを得たり、フィードバックをもらったりしています。高尾先生にインプロの講座をしていただいたときも、動いた後に解説のようなものがあり、理解が深まるというのがありました。公演でも自然に?同じ構造になっていて、その時間が学びの場になっているなと感じました。



今回は2回目だったのですが、前回出演されていた人たちは、私のことを覚えていてくださって、それもとてもありがたかったです。とってもフレンドリーな場を作れる人たちだなと思います。また、こういう学びの場を作れる高尾先生はやはりすごいなと。



阿佐ヶ谷の楽しみは、インプロの公演と、チケットをもらったときのドリンク券でベルギービールを飲むこと。そして、終わった後の黒おでんリフレクションです。


我無双から駅までの途中に、黒おでんが売りの激安飲み屋があって、そこで一緒に行った仲間と公演の感想、気づきの共有や、近況について話をします。その時間がとってもいい時間で、ついつい時間がたつのを忘れてしまいます。ラストオーダーになったころに帰らないと、終電に間に合わないことになってしまうのでお開きにするのですが、帰る頃に、高尾先生初め、出演者の皆さんが様子を覗きにきてくれたりします。本当は終わった後に飲んでいろいろ話を聞きたいのですが、終わった後に少し反省会をしているみたいですね。




インプロのよさを知ってしまったので、なんとか使えないかと思案中です。やっぱりいいことを知ると使いたくなりますね。

2010年11月16日火曜日

越境研修の思いつき

会社の外の世界に触れている人(=ポジションの高い人に多い)は、外に出ろと良く言います。入社してから、その組織に社会化したものにとって、社外の異質に触れることが学びそのものだということを肌身で感じているからです。私の会社の副社長も良く言っています。


でも、普段、家と職場の往復しかしていない人にとっては、未知の世界。そこに楽しみを見いだすというよりは、未知で異質なものに対して、なんとなく敬遠してしまうのは仕方のないことなのかもしれません。


そこが楽しいという経験のきっかけがあれば、良いのかなという仮説に基づいて、研修案を考えてみました。



タイトルは
越境(ってそのまんまやん)


研修案の要素は、
越境学習の3ステップを全て取り入れることです。

①他者の作った社外の場で学ぶ
②学んだことを持ち帰る
③自らの学びをデザインする



自分のいまの組織で考えているので、違和感はあると思いますが、

社内で、初対面の約10名くらいでチームを構成します。
スタートはわいがやでチーム作り。野中郁次郎先生が特に必要だと強調されていたお酒と温泉付きで2泊3日。


わいがやのテーマは、自分達の関心事(=研修の最終アクションラーニングのテーマ)と、それを達成するために学ぶことが必要なことを議論します。

このときに③自らの学びをデザインします。


手法はジグソーメソッドで、各自、わいがやで決めた社外の教育に参加してきます。

各自というところがポイントで、
①他者のデザインした社外の場で学ぶことで、社外の交流を深めることと、
②それを持ちかえって、メンバーに教授することで、自らはより理解を深め、メンバーの中でも持ち帰った分野は専門家の立場となること(ジグソーメソッドそのものです)


予算は一人40万円。10人で400万円
最終課題の活動費を20万円とすると、全600万円ぐらいかな。



外に何回かのプログラムに参加していると、外でいっしょに学ぶ仲間もできてきます。
外でいっしょに学ぶことで、どんどん視野は広がっていきます。1回だけのワークショップではだめだと思うので、そこは10回程度連続性のあるプログラムに参加してもらいます。



必修で学ぶことはいくつか事務局サイドで設定しておくのもいいかもしれません。


受講者が自らデザインするということで、何がでてくるかわからないので、このままではカオスすぎますが、本来、自らの学びというのはカオティックなものなので、それと会社の研修を結びつけるところが、もう一つの考えどころかもしれません。



もうちょっとデザインを練らないと

2010年11月14日日曜日

越境学習者は隠れキリシタンを読んで

昨日と今日、三日月さんの越境学習についてのブログ http://blog.goo.ne.jp/mikaduki0201/e/7db530b6dc5f035c9768fc2ce735e1ee
を読んでて、ちょっと自分はどうだったかについて考えてみました。


三日月さんの問いは、
「なぜ、あたしは越境学習をするのか?そして、それはあたしに何をもたらしているのか?」



ドライビングクエスチョンですね。


えーと、自分の場合ははっきり言って、あまり内外の区別をしていなかったので、ラーニングイノベーション論を受けて、初めて越境学習なる言葉を耳にしたのでした。


外に出る目的は、そこに興味があるものや、ことがあるから。ただそれだけ。非常に単純、あまり深く考えてないね。

興味というのは、仕事に使えるなーという目的のものもあれば、純粋に個人的興味のものもあります。基本はおもしろそうというのが大前提です。
ラーニングイノベーション論で「越境」なる言葉を知る前は、その区別すらしていなかったので。


でも、過去を振り返ると視野がひろがったきっかけはあります。
私の場合はちょうど4年前、会社の研修にありました。それまでは、外にもいってましたがどちらかというと仕事の関係、狭い担当範囲で四苦八苦していました。

私の受けた研修は、あらゆる知識の詰め込みで、1年のうちに30日程度あります。受講生はみんな社内のメンバーでしたが、講義をしてくれた方々はほとんど外部の人で、当時の感想は、まあ世の中にはいろいろな人がいるもんだと思いました。

知識の詰め込み=導管モデルの学習スタイルだったこともあり、内容はほとんど覚えていないのですが、そのなかで残ったのは、「世の中は広い」という感覚でした。


1年間講座を受けて、学んだことはこれだけかーと言われそうですが、その経験がいまの自分を形作っていると思っています。
1年の終わり頃にお決まりのアクションラーニングがあって、日本国内をいろいろ調べ回ったのも楽しかったですが、こんな自分の趣味で動いていいんだとそのとき思ってしまった訳で。


それからしばらくたって、人材育成担当者でもないのにラーニングバーに行ったりしてました。ラーニングイノベーション論はその延長で、申し込んだきっかけは、「少人数のラーニングバーが抽選なしで12回もじっくり楽しめるなんて、申し込むしかない!」という不純に近いものでしたが、いい意味で期待を裏切られました。


ラーニングイノベーション論が、仕事目的だったのか、自分の単なる興味だったのかはご想像にお任せしますが、その区別も自分にとってはあまり意味のないものなのかもしれません。

なぜなら、知ってしまったら使ってみたくなる性格だから。


結局、自分の単なる興味で学んだ事も、いろんなところで使おうとする。いろんなところといっても、ほとんどの時間は働いている訳で、使う場所は仕事の中になってしまう。

なんだ、仕事目的でも、単なる興味でもどちらでも還元しているやん。


結局、自分にとっては、仕事も趣味も社内も社外も越境というほど境を感じていないということなのだろうと思います。


ここまで考えてきて、越境の3段階

①外で学ぶ
②外で学んだ事を持ち帰る
③自分の学びをデザインする

を研修にできそうなアイデアが浮かんできました。
かなり結果がカオスなので、アイデア留まりになりそうですが、別に隠す必要もないので、(っていうか実行すらしていないし)次のブログでは、そのことについて探求してみようと思います。

2010年11月13日土曜日

子供の学びも記憶する

大人の学びも記憶していくように、少し、子供の学びも記憶していこうと思います。



私の小学2年生の娘の学校は、春に運動会があって、秋には展覧会というものがあります。今までつくってきた工作や絵、家庭科でつくったエプロンなどを体育館に全員分飾って、親が見にきます。芸術の秋ということでしょうか。


そこであることに気づきました。
小学生達が書いている絵の題材です。


昔、私たちの時代には、絵というと、動物園など、どこかに遠足にいったり、校庭に出て書いたものです。夏休みに田舎に帰ったときに、夏休みの宿題として近くにあったお寺に出かけていって絵を書いたりしていました。


展覧会の作品を見て驚いたのが、近所の風景画というものが全くなかったことです。書かれていたものは、パリの街並み、葛飾北斎の版画、モナリザ、ゴッホのひまわり・・・
しかも、同じ絵が何枚も。

えーと、模写ですか?


子供に聞いてみると、本を見ながら書いたということでした。



絵って、何が難しいかというと、3次元のものを2次元に書かなければいけないというのが難しいんです。だから絵なんです。

最近の小学校では、そういうことを経験させてくれないんですね。



確かに、2次元の絵を模写したほうが、出来栄えはいいと思います。実際、殆どの作品は、破綻の無いレベルの絵でした。初めは、みんな上手いな~と思って見ていました。


画用紙中のスペースのバランスや影の捉え方、等々、当たり前だよね。そういう難しいところは考える必要が無いんだから。右脳を鍛えるために、スケッチを使っている本があったけど(題名忘れてしまいました)3次元を2次元でパターンんとしてとらえることが絵を上手に書けるようになることだとかいてありました。だから、絵はあるとき急に上手になるそうです。



子供の絵に対する負担を減らすということは、絵の能力を上げるための機会が与えられていないということなんじゃないかな~。


もちろん、絵が嫌いになってはいけないと思うけど、子供なんだから、絵が下手でもいいじゃない。失敗もいっぱいしようよ。失敗には強くなって欲しいな。世の中は失敗が転がっているんだから。

展覧会ということで、失敗しないように学習に必要な経験の質が低下しているように感じてしまう。


まあ、学校でできない経験は、家でやればいいよね。


スケッチブックと水彩絵の具を持って、公園にでも遊びに行こうか。

2010年11月12日金曜日

職場学習論を読んで

中原先生の最新書、早速(といっても手に入れてから5日もかかってしまいましたが)読みました。

専門書なので、記述が論文調で、もし、ラーニングイノベーション論に出ていなかったら、理解するのに苦労しただろうなと思いましたが、ラーニングイノベーション論のあらゆるところに、書かれているエッセンスが含まれていたので、楽しく読むことができました。


いままで、なんとなく大事だなと現場で感じていたことに対して、言語化され、統計的な裏付けをされたような気がします。


言葉だけなら、これが大事だと思うとか、個人の見解ではいくらでも言えるのですが、言っていることは人それぞれ。その人が育ってきた経験によって裏付けられているので、正解はないにしても、本当にそれが正しいことをなしているのかを学ぶことには多くの対話が必要で、なかなかその機会も少ないものだと感じていました。


ダブルループ学習を回していくための指標が書かれている本だと思います。


本当にこの本を読んでいると、ラーニングイノベーション論の講座を思い出します。最後に投げかけられた、越境という言葉も新たな研究テーマとされるのだと思いますが、私は、どうしたら越境者を増やすことができるか、これからも探求していこうと思います。




最後に、あとがきの、

・・・・僕は君の「未来」を思う。・・・

から始まる文章をバスの中で読んでいて、胸がグッときてしまいました。

子供たちにとって、明るい未来を作ろうと。

2010年11月11日木曜日

新人研修の狙い

ラーニングイノベーション論で一緒に学んでいた方の会社が主催するセミナーに参加してきました。


内容は、次年度の新人研修をどう考えるか?ということで、時期もそろそろ各社さん考え出すころでもあり、60名近くのいろんな会社の人材育成担当者が集まっていました。


ほとんどが、集まった人たちの対話、探求する時間でした。

最初の問いは、「新人研修は必要ですか?」
いいドライビングクエスチョンだったと思います。
私の考えは、理想的には必要ないが、仕方なくやっている、です。


何が必要かというと、同期とのつながりです。ほとんどこれだけのために、新人研修を約1ヶ月やっているようなものです。


そのときに必要なのは、エンジョイメント。

皆さんの意見では、社会人と学生の切り替えなどという意見も出ていましたが、彼らなりに考えているでしょ。彼らが考える社会人という姿は、経験によって変化していくものなので、私はあまり重視してません。


エンジョイメントが強いと、学生気分が抜けないと言いますが、それでも結構。


職場に配属されれば、いままでの理想は大なり小なり崩れます。上司との人間関係に悩むことも多くなります。そのときに本音で精神的な支えになるのが同期です。


もし、同期との新人研修が、競争心を煽るような、個人の能力だけを高めることを狙っているものだったとしたら、どうでしょうか?


おそらく、配属後、同期と腹を割って悩みを相談しあうこともないでしょう。新人研修が楽しくない思い出だったならば、楽しくないことを共有した同期に自分の弱い部分を相談するでしょうか?


だから、新人研修は楽しければそれでいいのです。


これが私の持論であり、新人が組織に社会化していくまでを生き抜いていく為の戦略です。


来年度、また新人研修に携われるか分かりませんが、どんな人たちが入ってくるのかとても楽しみです。

2010年11月10日水曜日

エキスパートリーダーという人

私たちの組織には、エキスパートリーダーと呼ばれる人たちがいます。外部にも発表されています。
部長ではなく、製品の性能の専門家です。ある性能についての取りまとめ、
トップの役割りを持った人です。

その中の一人で、私のかつての上司でもある人に、ある講座のコーディネーターをお願いしています。


今日がその日で、3年半前まで部下として携わっていた話を、今日は懐かしく聞いていました。


冒頭その人が話をし始めたのは、エキスパートリーダーとして自分の携わっている専門領域の話ではなく、組織文化をいかに変えていったかの話でした。


私がまだ部下でいたころの話でもあったので、とても懐かしく、一方で、組織の文化をいかに変えていくか、その道のりの長さを改めて感じていました。


組織文化の変革に着手してから、成果として現れるまで、約4年かかっています。


とった手法は、AIというポジティブアプローチです。このワークショップは、ダイアナ・ホイットニーさんという人が提唱しているもので、アカデミックなアプローチではなく、実践者から出た手法です。


上位者も新人も全員が一同に会するホールシステムで、自分たちの未来を創造し、それに向けた一歩を踏み出すというものです。


途中、継続しづらいこともあったようですが、それでも、本当にそれをやりたいと思ったのかと問い続け、変化し続けることが、今の成果につながっているのだと思います。


変化し続ける、学び続ける文化をいかに作っていくか、成果に結びつくまで続けることができるか。
一過性のイベントに終わらせず、やり続けることが文化の変容につながっていく、また、エキスパートリーダーとして組織を率いて成果を出すためには、
文化を変容させていく必要があること、文化は一人の力では変容させることができないことを改めて感じた冒頭のお話でした。

身体の学びを記憶する

慶應MCCラーニングイノベーション論が終わるころ、近藤さんに学ぶコンドルズ的ダンスワークショップが慶應MCCで始まりました。

MCCのホウヤさんからのお誘いもあり、また、インプロビゼーションでの身体の学びも面白かったので、参加することにしました。


今日は(12時過ぎたので昨日)そのワークショップの2回目。前回から3週間後に当たります。

前回、身体を使った自己紹介とか、頭では無いところでのインパクトが大きかったせいか、集まったときからとても和やかな雰囲気で始まりました。


前回も、今回も近藤さんの気になっていることや、最近あったことなどの話しから入ります。

関心を寄せるところが、普段の自分とは違っているので、その話しだけでもとても面白いです。年齢、場が全く違っているところでワークショップをやられているので、子供の学びとかも考えさせられます。


ちょっと話が終わったところで、ストレッチをして、本格的に身体を動かしていきます。


今日は、ペアになってリードする、される関係だったり、誰かと対峙したときの表現だったりを通して、自分はどういう人間なのかが分かってくるというもの(だったような気がします)


自分の性格の中には、とっても負けず嫌いなところがあるなと感じました。昔よく流行った押し合いでバランス崩れた方が負けのゲームでも、完全に勝ちにいってましたし、いろんな面で負けず嫌いが出ていたように思います。


まあ、これも自分なので、良し悪しは無いのですが、行動を注意深く見てみると、自分がよくわかるものです。そういえば、昔よく父と将棋をして、負けて悔し涙を流しながら、再戦を申し込んでいたのを覚えています。


昔からそういう性格は変わっていないというか、どこかに残っているものだなと。


自分の行動を見つめ直す、内省するというのも面白いものです。

脳科学者の池谷さんが、生物は脳が発達する前のほうが、歴史的には圧倒的に長いので、身体の能力はすごいということを言われていたかと思います(うる覚え)
脳が発達する前でも、生物はうごいていたのだし、生きてきたのだから、身体で感じることは忘れているだけでとても多いのだと思います。少しでもこのワークショップを通して、わかるようになればいいかなと思います。

写真を始めたころは、光の当たり方とか気にしていなかったのが、だんだん光を見る目が養われるようなものだというきがします。

まだあと4回あるので、これからも楽しみにしつつ、日々の微細な変化を拾って行こうと思いました。

2010年11月8日月曜日

アクションラーニング

アクションラーニングというと、何回かの研修の最後に課題を設定して、実行の計画を立てて発表するということ。
別のパターンもありますが。

実行の経験の中から、学ぶということでアクションラーニングですが、ご多聞に漏れず、アクションラーニング付きの研修をやっています。


入社5年ぐらいの若手の中から、選抜して半年ぐらい研修を行って、部長級の視点の提案を考えてもらっています。

昨年度、自分が研修の事務局の立場で関わっていたのですが、今年は担当者から外れて、今年度の受講生は、今日初めて顔を合わせました。

一日中、彼らの提案の素案を聞いていたのです、なかなか面白かったです。

まず、選抜教育ということで、各部から人数比の枠の中で選抜されてきているので、彼らの着目している問題点は、メタの視点では、会社全体の問題点の縮図であったこと。

彼らの視点でしか気づかないことが多く見られたことです。

なかなかそのようなことをまとめて聞ける機会はないので、人材育成を担当している者の特権のような気がします。

また、その問題点は、かなりラーニングイノベーション論で学んできたことが含まれていたのが印象的でした。

モチベーション、ナレッジの蓄積、理念の浸透ということが多くありました。
これらの問題点は、組織に共通する問題点でもあるので、それぞれの組織で考え続けることが必要、解なのかもしれません。

アクションラーニングの検討時間は約3ヶ月で、その期間では、納得のいく答えにたどり着けないかもとは思いますが、考える経験というのは、これからの彼らにとって、非常によい経験になるだろうと思います。

もちろん、何かしらのアクションは起こしてもらいたいですが。

去年、担当していたときに大きく変えたプログラムとして、自分が本当にやりたいことを見つけるために、自己マスタリーに時間をかけることにしました。

今年も彼らの発言を聞いているとその効果は決意として現れている気がします。

これからの彼らの最終提案に向けたアクションに期待しつつ、彼らに負けないように自分のアクションラーニングも続けようと思います。

2010年11月7日日曜日

ラーニングクラフツ

今日はラーニングクラフツについて。

ラーニングクラフツってなんだ~ということですが、単なる革細工なんですが、ラーニングイノベーション論の番外編にもエントリーされているということと、ラーニングをくっつけた方がかっこいいのと、ちょっと革細工をすることになった経緯について学びの視点で振り返ってみるということでこちらにもラーニングとつけました。


さて、最初に革細工に興味をもったのは、会社のある同僚が、会社のメンバーに革細工の教室を開いていたことです。その教室は不定期だったのと、休日で都合が悪かったので、いけなかったのだけど、その教室に参加した人の中で携帯のケースを作り始める人が出てきました。

ちょっと周囲で軽くブームになっていたのと、そのころ私が興味をもっていた万年筆のケースを同僚が革で作ってくれるというので、お願いしました。

数週間たって、出来上がってきたその一本刺しのペンケースがとても出来が良くて、これは自分でも作らなければと思い立ったのでした。

革細工を初めて作るのに自分のとった行動は、東急ハンズに行って、革細工のスターターキットを買ってくることでした。つまり、革細工の熟達者から学ばずに、あえて、マニュアルからスタートすることにしました。

スタートするに当たり、取る方法はいくつかあったとおもいます。

①熟達者を探して、そこの教室に通う。
②知っている同僚から学ぶ。
③本やマニュアルなどの形式知から学ぶ。


なぜ自分が③の方法をとったかというと、①に学ぶほど真剣にやり始めようとしていなかったこと=遊びの延長、②の同僚も自己流だったので、基本から学びたかったこと。

学び方は独学でも、スタートのきっかけは周囲の文化、他者の関わりが大きく関係しているという結果でした。たぶん、ハードルの低い熟達者がそばにいたら、その人から習っていたことでしょう。Learningfulな環境、文化が大切だという経験からの学びでした。


さて、今日から作り始めていますが、まずは革の切り出しから。
革は一頭の半分を伊東商店という卸問屋から購入しています。
革が分厚いのと、大きいので、切るだけでとっても大変。
もちろんカッターなんぞでは切れませんので、革断ち包丁というものを使います。


そのあと、裏側に豚革を貼って、一部カットします。ちょっと皺がよってしまった。


革を曲げて、形を整えたところ。ここまでくると、何かを作っているかはわかってきますね。


周囲に菱ギリという道具で穴をあけていきます。
木槌で打ち付けて穴を開けるのですが、これまた革がぶあついので大変。


平縫いで縫っていきます。これは単に根気の作業。でも、引っ張る力をいつも一定にしておかないと、合わせ面がゆがんでしまいます。


そろそろこれ以上上達するには、熟達者からのフィードバックが欲しいところです。でも、なかなか周囲にいないんですよね。

今日はここまでで時間切れ。続きはまた来週~。

2010年11月6日土曜日

記憶って

昨日、中原先生執筆の職場学習論が近所の書店に出ていないか探しにいったのですが、あまりにも小さな書店であったのと、職場学習論が専門書であることだと思うんですが、並んでいなかったです。残念。
まあ、会社で8冊頼んだので、来週にはくると思いますが。


最近は、欲しい本は新しい本も絶版になった本もネットで探しているので、せっかく書店にきたので、久しぶりに中をうろついてみました。


もしドラが流行っていることもあって、ドラッカーコーナーが出来ていたのと、ハウツーものが相変わらず並んでいます。


その中で目に留まったのが、記憶術の本。昔から自分は記憶力が弱い。人の名前も覚えられないし、読んだ本もすぐに内容を忘れてしまう。記憶力のよい人は、別世界の人のように尊敬してしまう。例えば、神戸大学の金井先生のように。

どうやったらあのように知識の泉になれるのか。ちょっと前にナカタさんから借りた、池谷先生の海馬という本には、鍛えれば海馬が大きくなって、記憶力が増えるということが書かれてあった。

どうやって増やせばいいのよ~と、記憶術の本を読むと、そこには、語ることと書いてありました。(他にもいろいろかいてありましたが、、、)

なるほど、外化かと。確かに、これまでは内化しかしてきていなかったなと。


ラーニングイノベーション論の冒頭で中原先生が言っていた、18世紀の一斉授業には語ることがついてきたなあと。
隣の人にギヤだよギヤだよと教えることで、記憶していったのではないかと。

そう、教えること、語ることが記憶にはいいのだ。
でも、一斉授業から語ることがなくなったのはいつ頃のことなのだろうか?と。
スピーカーとマイクでそれこそ一斉に声が届くようになってからだと思いますが、それによって、記憶に対して重要な行為であった語ることがなくなってしまったのでしょうか。


導管型の一斉講義の内容を半年たって覚えている人が2%、なんとなく覚えている人が30%、それ以外の人は一切覚えていないというのは、覚えていないのも問題ですが、なんとなく覚えている人というのは、もっとタチが悪いというい気がします。

何故かというと、そういう人に同じ話をすると、そんなことは知っていると言って、まともに聞こうとしない。でも、そういう人は語れるほど記憶していない。ということは、行動の変容もしていないということ。

行動を変えて欲しいと思っている側からすると、もっとも作りたくない人種かもしれない。

そういう人をこれまで研修でたくさん生み出してきているのかと思うと、やることはたくさんあるなと思ってしまいます。


まあ、ラーニングイノベーション論の最終課題にもつながっていることなので、継続してやり続ける他はないのですが、先は長いなぁ。

2010年11月5日金曜日

日本人とは?

日本人とはなんだろうか

今日のお昼休みに30分だけ、副社長のところに行って、そんな話になった。それ以上話は進まなかったけど、自分なりに日本人とは何かを考えてみる。


ちょっと脱線するけど、副社長は忙しいね。お昼休みの食事もゆっくり取ることができない。ご飯を食べながらの打ち合わせ。30分経って、副社長室を出たら、次の人が待っていた。風邪をひいている暇もない。


それはともかく、日本人の話。日本人ってグローバルでどれくらいの競争力、競争優位性があるのだろうか。もちろん、学びの視点を入れて考えて見ます。


日本人の特徴と言ったら、やはりハイコンテクストなコミュニケーションは外せません。ハイコンテクストになるというからには、他の国とは異なる育ち方をしてきたということ。

日本辺境論を書いた内田樹さんは、日本という辺境のメンタリティーは効率的な学習には良いとすこし皮肉混じりに言っています。


日本人は、自己や同じ日本人を卑下したりするのが好きなのか、ワンダウンを自然にできる民族なのか。


サーバントリーダーシップの視点では、ワンダウンを自然にすることができる民族性はとても利点のような気がしますが、国際競争力と言う点でいえば、どうなのだろうか?
ナンバーツー戦略というのもなくはないが、競争なんだから、一番になりたいのは普通だよねぇ。


ハイコンテクストということは、形式知化されない暗黙知をたくさん共有できるということ。同じ経験をしても、その経験から学べることはおおいはず。ということは、あとは経験の質さえあげてやればよいのか。

確かに、経験の質という点では、単一民族だし、多様性の少ないことから言っても、経験の質が低いと言われても仕方がない。


経験の質を手っ取り早くあげるには、やはり海外に出るしかないか。

日本は国と国とが陸路でつながっていないので、越境しにくい。ということは、4000円で中国まで飛んで行けるこれからの時代は、日本にとってチャンスなのかもしれない。


経済産業省がやっているクールジャパン、日本の文化を海外に売り込むというのは、海外の文化も同時に入ってくる。

かつて、横浜から近代文明が入ってきたように、新たな日本の幕開けが始まるかもしれない。


そのとき、日本人の学びの力が発揮されるといいな。

今必要なのは、越境だったね。

学びの仲間

今日は、早稲田の斉藤投手が、昨日コメントしていた「仲間」というキーワードが、世のTVニュース業界を賑わしているようですが、私の周りにも、学びの仲間がたくさんいます。


社外の学びの仲間の筆頭はもちろん、慶応MCCのラーニングイノベーション論のみんなです。
本当にとっても良い仲間に出会えたと心より感謝感激しています。


でも、社内にも沢山います。今日は、そのメンバー約15名と、表参道でリフレクティブ・ファシリテーターの探求をしていました。通常、ファシリテーターといえば、問題解決型のファシリテーターをさすことが多いですが、今回のリフレクティブファシリテーターは、場の参加者が主体となって、リフレクティブな場を生成するお手伝いをします。


今週は、ほとんど自席におらず、出張や会議室にこもってばかりだったので、朝からとっても体の疲れを感じていたのですが、
いつも、表参道にくると、気持ちは元気になります。


今回集まったメンバーは、これから中間管理職マネージャーに向けた、「マネジメントについて対話をし、自らのマネジメントにポリシーについてリフレクション、生成をする場」を作っていきます。


今回は、その場をつくるファシリテーターとしての育成の一環です。


さすがに学習する仲間だけあって、みんなと対話をしていると、いろんなものが生まれてきます。午前中だけでも、かなり深い探求が出来たと思います。
午後になると、自分の体力のほうがもたなくなってきて、最後は一人電池がきれた状態になってしまいましたが、一日とても充実して、これからよい対話の場がいろんなところで生まれるでしょう。


ほんとうに、こういった社内での学習する仲間に囲まれて、幸せだなーと感じている今日この頃でした。 感謝!

2010年11月3日水曜日

積極的学習者、消極的学習者、学習拒否者

慶応MCCラーニングイノベーション論が終わって1週間、最後のセッションで宣言したとおり、ラーニングイノベーション論@社内を開始しました。


対象者は、人事の人材育成担当者と、人材育成戦略を考えるメンバー総勢で22名。


第一回目に集まれた人数、12名…


そりゃー今日は会社が休みでないといっても、旗日だし、仕事でトラブっていたり、海外出張から帰ってこれないのもいるけど、ちょっとすくなすぎないかい?


本物のラーニングイノベーション論とコピーとの違いはそりゃあるし、なにより中原先生のコーディネーターや豪華講師陣に対して、コーディネーター件講師が私って~差は大きいけど、あきらかに嫌がってこないのもいる。


人材育成に携わっているなら、仕事終わってからでも遅れても来るぐらいの気概が欲しいよね。今日も、実際、時間いっぱいまでトラブル対応で忙しかった人も来てくれているし。


せめて、自称でも積極的学習者だと言ってほしいのは、期待しすぎなのだろうか?


ちょっと愚痴が過ぎたので、第一回をやった感想。多分、自分が一番勉強になったかもしれない。(思い込みでも)

やっぱり聞くと話すでは全く違います。当たり前だけど、講義の内容を説明するだけでも、結構勉強になりました。受講中には聞き流していたことも、新たに気付きとして得られたので、それだけでもやってよかった。

みんなのグループ発表を聞いていたときも、あ~これって他者との関わりのことだな~とか、企業風土のことだな~とか、理論と結びつけて考えている自分がいました。半年前と比べて、成長したなあと。


もちろん参加者のみんなも、良い顔してました。人材育成戦略を1年半もやって来ていたのに、今頃、企業内人材育成入門(今回の課題図書)を読んでちゃダメだよねと自らに言いながら、参加していたりします。


本音は、やっぱり積極的に学ぶ人が好き。ラーニングイノベーション論のみんなのような越境Learnerと比べちゃいけないんだろうけど、今回参加できなかった人、消極的学習者へも背中を押しつつ、これからも一企業内人材育成家の挑戦はつづく…なんてね。

あなたは熟達者から学ぼうと思いますか?

あなたは熟達者から学ぼうと思いますか?


①熟達者から学ぶ
②中堅者から学ぶ


今、マネージャー層がそれぞれのマネジメントについて対話をし、学習する場を持とうとしています。その場のファシリテーターをマネージャーより少し若手で、対話の場を持つことができる素養のある人を集めて、ファシリテーションを学んでいます。

実は、ある人の考えた企画に少しアレンジを加えてやり始めているのですが、そのファシリテーションでの研修であったことです。


今週偶然、同じコンテンツで、ファシリテートを教えていただいている社外の別々の人からファシリテーションマニュアルを渡されました。

一方の人は、世間的にも優れたファシリテーションをする人だと認められている50代くらいの人。ある意味では、この人のファシリテーションは凄いけど、真似できないよねという人。

もう一方の人は、30代ぐらいですがこちらもとっても良い場を作ってくれるファシリテーター。


普通に考えると、50代の熟達者のほうが知識もたくさん持っているし、学ぶことが多いかと思ってしまいます。確かに、その人のファシリテートをみていると、色々なテクニック、引き出しを使って、凄いと思う。


実際に渡されたマニュアルを見て、その違いに愕然としました。また、なるほどと納得してしまいました。

50代の熟達者は、ファシリテーション用資料の中で、自分が大切だと思っている要点だけを箇条書きで書いてある。

30代の人から渡された資料には、要点を解説された上で、シナリオが書かれていて、最悪でもそれを読み上げるだけで、ファシリテートができるようになっている。


さらに、50代の人のポイントは、自分がワンアップするための要点、30代の人のポイントは、自分がワンダウンするための要点。

どちらがマネージャー同志が対話をするのに、良い場になるかは明らかだなと思います。
30代の人は、社外の人と社内の人がファシリテートをする場合で、変わってくるといっていました。まさにそのとおりだと思います。



熟達者は、熟達者ゆえに、オートでやっていることを暗黙知にしてしまっている。だから、それを教えることはできない。暗黙知にしていない人からなら、言語として学ぶことができる。

おそらく、師匠と弟子の関係で、師匠はあまり教えないのは、教えられないからなのではないかと思います。だから、弟子は師匠の行動を見て、学ぶしかない。

自分が中堅レベルになれば、熟達者の言葉ががわかるようになるのかもしれません。


昨今、技術の伝承が危惧されていて、黙々と40年ぐらい同じ仕事をしてきた超ベテランから、若手へ技術を伝承しようとしてる話をよく聞きますが、すこし考え直したほうがよいかもしれません。



あなたは熟達者から学ぼうと思いますか?

ちなみに、実際の30代の方も熟達者ではありますが、自動化のところを言語として持っている人です。

2010年11月1日月曜日

自らの学習をデザインするって・・・

まだ、先週の興奮冷めやらず、ラーニングイノベーション論を卒業した感じがしていないんです。写真の共有や、ポスターセッションおかわりの案内が出来ていないからかもしれません。


ラーニングイノベーション論の最終のラップアップで、中原先生から「皆さんは自分の力で、自分自分と他者が学べるような場をデザインしはじめた」と言っていただいて、とてもありがたく、また、卒業式のテンションと合わせて気持ちが舞い上がってしまって、その意味を深く考えることが出来ずにいました。


数日経って、ふと振り返って考えてみると、自分の力で自分自身と他者が学べるような場をデザインできている状態というのは、とんでもなくハードルの高いものなんじゃないの~と。


確かに、ラーニングイノベーション論の番外編を自分達で作ったり、雰囲気を盛り上げるために中原先生のオープニングセッションの資料を真似したり、本当に楽しかったし、そこで得られたことは本当に大きかったと思います。スタートは切ったのかもしれませんが、とんでもない最終課題をもらったような気もします。


最終日の3日前には、番外編としては本当に本格的にOJTのセッションをClass of 2010のメンバーがラーンウェルの関根さんに交渉していただいて、実現できました。

OJTについて、今まであそこまで深く考えることをしてこなかったし、これまでの自分からOJTに関する枠組み、
思い込みみがわかったので、とってもいい機会になりました。会社や組織によって、OJTというのは異なっていて、しかも、プランドハプンスタンスに近い偶然性が介在しているようだということも良い気付きになっています。

でも、あのセッションは私にとってはそれこそプランドハプンスタンス。それをデザインするってこと?

誰かのデザインした場に出かけることがいかに楽かも分かってきたような気がします。
誰かのデザインした場というのは、例えば、食べったことがない食事のようなもの。
食べるまでは味はわからないので、食べてみることが大事。では、自らの学習をデザインしたっていうことは、食べたことのないものを料理するってこと。

いっぱい作って、味見して、いつかは食べなくてもなんとなく美味しい料理が出来るぐらいになることかもしれません。
失敗することを前提に、少しづつ改良していけば良いのかもしれません。


などもやもやしてきました。
暫くは方向性を探りつつ、偶然を掴んでいければなと考えています。皆でつくる創作料理、それもまた楽し。